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31歳、幸福をコピペ

ついこの前、31歳の誕生日を迎えた。
昔からあまり誕生日というイベントを大きく捉えずにいた環境で育ったせいか、Twitterやらで多くの方から祝いの言葉を頂き、更にプレゼントまで送ってくれた方がいて少し驚いた。
その驚きや戸惑い以上にやっぱり祝われることは単純に凄く嬉しいことだと改めて気がついた。
ありがとうございます。

偶然とは重なるもので、誕生日にとある方の私設賞にて佳作に選ばれた。
僕が記憶している限り、何かの賞や企画に選ばれるということは初めての事だったので、やっぱり驚いた。
そうしてじわじわと喜びがこみ上げてくる。
結果発表の記事を読み、他の方々の作品を読む。
「うんうん、良い記事だ。素晴らしい。すげー」
などと感想にもならない感想を独りごちる。
嬉しさのあまりツイートまでしてしまった。
誕生日という日に、多くの方から様々な祝いの形を受け取って舞い上がっていたのかもしれない。


さて、これで
「祝って下さった皆様ありがとうございました」
「これからも引き続き、良いと思うものを書いていきたいです」
などと締めてしまえれば良いのだが、それでは記事として成立しない。(あくまで僕の中では成立しない)

まず問題なのが、「悔しい」という気持ちが湧き上がらないこと。
佳作で満足して良いのだろうかということ。
これについては個人的なものなので、多くは語らない。
なにより何を語ったとしても「選ばれた人が向上心を高め、上に行こうとしている」位に思われるのが関の山だ。

僕は今回の私設賞にて「選ばれた人」の側に来てしまった。
今までは「選ばれない人」達に混じって、
「わーすげー」くらいに眺めていた僕が反対側に来てしまった。
今回の佳作入選に多くの方から賛辞を頂いた。
けれど僕が「選ばれた人」の側に来たことを自覚出来たのは、残念ながら見知らぬ誰かから投げられた非難の言葉だった。

投げてきた御二方はどんな顔、気持ちで僕にDMを書いたのだろう。
自分が気に入らない作品1つ1つに彼ら(彼女ら)は同じようなDMを送ったのだろうか。
あなた達が生産性の無いDMを書いている間にも、恵まれない世界のどこかの子供たちは1分間に60秒が経過していることを意識して貰いたいと思う。

選ばれる・れない問題については旬を過ぎた感がある。
ただ、各々が各々の形でその問題と向き合い、あるいは向き合えず消えてしまっている事実は今後も変わらないだろう。
個人的には毎朝、勝手に12星座をランキング形式で並べてくる占い番組に一喜一憂しているのと同じことだと思っている。
「今日の1位は蟹座のアナタ!」
あっそうですか。わーい。
「今日の12位はごめんなさい。蟹座のアナタ……」
あっそうですか。ふーん。
選ばれる・ばれないっていうのはこんなものだ。
あくまで僕の考え方。
参考にもならない。

先述した御二方のDMについてじっくりと読みはしたけれど、返信はしなかった。
その代りと言ってはなんだが、こうしてこの記事を書いている。

どんなに悪意を込めた文章を送ってくる人だって、平時から悪人であるとは考えにくい。
僕に非難の文章を送った次には、奥さん(あるいは旦那さん)に
「今から帰るよ」的なほっこりしたやりとりをしているかもしれない。
そう考えると、何だか愛おしく思える。

つまりそういうことなのだ。
常に悪人でもなければ善人でもない。
僕だってこの前の七夕では「ああ、世界が平和になりますように」と願ったものだが、先日サマージャンボが発売されるや否や
「ああ、7億円当たりますように」と願うのだ。

作品だって、見る人や時間が違えば変わるものだ。
自身で読み返したってそうだろう。
深夜のテンションで書いた自称最高傑作が、一晩経てば読み返すのも恥ずかしいものになっていたりするものだ。

ありきたりすぎてつまらない?
そのありきたりな考えを持たないから皆、あれこれ悩んでいるんじゃないの?
多くの人が手を変え品を変え尽くしているのに、未だに書店では自己啓発書の類が並んでるんじゃないの?

こんなことを書いている僕自身だって、当たり前なことで悩みもするし、壁のようなものにぶつかることもある。
深く考え、探り、潜っていくべきなのは、自身の周囲に起きている事象ではなく、その中心にいる自分自身の中にある。
ありきたりとか、当たり前なことって、どれだけ誰かが主張したところで自身で気が付かなければまったく響かない。
知識としてわかっていても当事者にならなければ、それを軸に考えることすら出来ない。
知識としても頭になければ、「ありきたりで当たり前のこと」と言われることを知ることから始めるしかない。

僕がこの場で何を書いても自由なように、
僕に対して何を言っても自由なことを認めてあげよう。
悪意も善意も僕に興味があるから向けてくれるのだ。

でもこういう文章って、本当に書くの下手だな。
少し練習したほうが良いかもしれない。

ちなみにタイトルの「幸福をコピペする」というのは
僕が音声配信上で適当に言った、中身のない言葉なので気にしないでください。

誰に読まれようと、読まれなくとも
誰に選ばれようと、選ばれなくとも
誰に認められようと、認められなくとも
僕は僕が書きたいものを書くし
それをここで公開するもしないも僕が選ぶよ。
自分の人生なんだから好きにさせてよ。

ありきたりでつまんねぇなって思う?
構わないよ。






貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。