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出涸らしの牛丼

今から10年前、私が大学生の頃の話だ。

当時大学入学したてで浮き足だっていた私は、サークル活動やゼミ、バイト、とにかく新生活を謳歌しようと励んでいた。

特にお年頃ということもあり、恋愛にも積極的だった。同じゼミのTさんに惚れた私は、彼女に振り向いてもらえるように頭を悩ませる毎日だった。Tさんはパッと見は派手ではないが、眼鏡をかけた可愛らしい女性だった。

とにかく毎日彼女で頭がいっぱいだった。予定もないのにありとあらゆるデートプランを練り、想像を膨らませては疲れ果てて惰眠を貪る生活を送った。メール(当時LINEはない)も毎日やりとりし、返信が来るまでうずうずしたり、彼女の事で一喜一憂し身悶えしていた。まさに恋に恋する腑抜けそのものになっていたのだ。そうしていた矢先、ゼミ飲みの開催が決定した。私はこれを機にTさんはな更に接近しようと決意した。

ゼミ飲みはよくある居酒屋チェーンで行われた。成人済みメンバー以外は未成年なのでお酒は飲まなかったが、もしかしたら何かの間違いで一滴、二滴はアルコールを含んだかもしれない。とにかく楽しい飲み会だった。

宴もたけなわのまま二次会のカラオケに向かった。カラオケということもあり、Tさんに良いところを見せたい私は、キーの高い高難度な曲を歌ったを覚えている。春なのに粉雪を歌った事は、後々考えると闇の底に封印したいくらい気持ち悪いと思う。しかしながらそこは恋に恋する腑抜けそのものな私。Tさんのハートを鷲掴みにして、さらにボディブローを喰らわした気持ちになっていた。

時間も時間になり終電間近だった為、帰宅することとなった我々一向。Tさんと帰宅する方向が一緒だった為、一緒に帰るという恋愛あるあるイベントが起こったのだ。この時の私は歓喜していた。のちに起こる惨事も知らずに。

〇〇線でぶらぶら揺られながらTさんと楽しく雑談をしていた。そのうち私が本来降りる駅に到着したのだが、普通なら降りるところを降りなかった。気が昂ったのか、恋に恋していたからなのか、家の近くまで送っていくと言ったのである。狂気だ。まだ付き合ってもない女性を送っていく。それがおかしいことに気づかなかったのだ。Tさんも悪いからいいよと断った。当然だ。付き合ってもない男に送られる筋合いはない。しかし根負けしたのか最後には折れた。いや、私が折ったのだ。

そうこうしてるうちに、Tさんの最寄り駅に到着した。Tさんの自宅は駅から遠く、自転車だった。痛恨のミスだった。自転車で来る距離をわざわざ歩かせる羽目になってしまった。さすがの私も申し訳ない気分になっていたが、道中楽しく雑談を重ねているうちに申し訳なさが薄れていった。薄れてはいけないのにだ。

そのうち道半ばで私は酔いもあったのか、恋に恋していたからなのか、唐突に告白しようと思ったのだ。なぜ今なのか。タイミングを考えろと言いたくなるが、思い立ったが吉日という言葉が全てをかき消した。憧れだったTさんが横にいる、その事が私を狂気に走らせたのだ。

結果から言うと私の好きですという一言は東京の闇夜に消え去った。Tさんには既に付き合っている男がいたのだ。Tさんは告白を聞いて、付き合ったら楽しいと思うけど、彼氏を裏切れないと言った。私は放心した。バベルの塔が崩壊するかの如く、私は言葉を失ったのだ。そして喪失感は私の心を悉く抉り、切り刻んだ。この日の私は1人で盛り上がって1人で爆発した惨めな男だった。

Tさんを送り、私は夜の街を放浪した。終電がない為、必然的に何処か安らげる場所を探さなければならない。私は少ない選択肢の中からカラオケに行くことにした。既に歌ったにもかかわらずだ。そう、とにかく叫びたかったのだ。行き着いたのはよくあるカラオケチェーン。始発まで数時間をここで過ごすのだ。たった1人で。

カラオケの室内、私は餓狼のような目で虚空を見つめながら自分の愚かさを嘆いた。告白のタイミングだけではない。Tさんに色々と申し訳ないことをした事を後悔した。神は私を見捨てたのだと運命を呪うよりも、とにかく彼女への申し訳なさが頭を支配した。まぁ考えるのは一旦やめて、とにかく歌い、叫ぼう。そう思い曲を入れはじめたのだ。多分ダウナーな曲をたくさん歌った。

そろそろ始発だというタイミングでカラオケを後にした。外は白み、朝と夜の境界が曖昧な時間だ。そして私は自分が空腹なんだということに気づいた。腹が鳴る。腹が鳴るのだ。私は近くにこの時間でも営業している店があるか周囲を確認した。とにかく腹を満たそう。そう決意した。

駅前ということもあり牛丼チェーンが開いていた。普段はあまり入らないが、牛丼という二文字が頭を支配したため、もはや牛丼以外食べたくないとまで思っていたのだ。

私は牛丼大盛りと味噌汁を注文した。スタンダードなメニューだ。それらは牛丼チェーンということもあり、幾分も待たずにカウンターに運ばれてきた。運ばれてきた牛丼は、早朝の為か分からないが、昨日の分の出涸らしといったような状態だった。肉はぼろぼろとし、タマネギはへたりきっていた上、味噌汁も薄かったが、とりあえず私は食べ進めた。やはり肉はぼろぼろとし、出涸らし感は否めない。だが、実際の味や食感を超えてとてつもなく美味く感じたのだ。

生への渇望、食という恵みへの感謝、食べ進むうちに色々な感情が湧き上がってきた。牛丼を咀嚼する度に、自分の生を実感する。味噌汁を啜る度に、汚濁した感情が洗い流される。完食する頃にはなんとも言えない満足感で包まれていた。早朝の牛丼チェーンでこんな気持ちになるとは思わなかった私はこの世の全てに感謝の念を込めて『ご馳走様でした。』と言い、足早に店を後にした。そして白けた空が私を迎えた。


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