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2021.9 生きていていい人

こんな文章は誰にも何の意味ももたらさないかもしれない。いや、何の意味もない。他人をいらだたせるだけです。でも書かないと前に進めない。今日ほとんど何も手につかなかった。いらだったらブラウザを閉じてください。すみません。

自立した後に親からお金を借りたことはありますか? 

大きな買い物ではなく、生活費を。

私は、実家出るまで全部親がかりだったけれど、社会人数年やった後、実家を出てからは基本的にぜんぶ自分で支払ってきたつもりだった。

それが非常に大事なことだと思っていた。

金も口も出させない。家賃、生活費、保険料、演劇のお金、習い事のお金、買い物。自分のお給料と貯金の範囲でやってきた。当たり前すぎる当たり前のことかもしれない。でもそれが誇りだった。

他人がどうのとかではなく、私の中だけで、親からお金をもらわないことはとても大事なことだったのだ。

でもついに借りることにした。今日電話で頼んだ。親は了解してくれた。あっさり。親にとっては正直、大した金額ではない。私もそう思う。

500,000円。

大した金額じゃないと今でも思っている。お金が大事じゃないとかそういうことじゃくて、本当に、50万円なんて大したお金じゃなかったはずなのに。例えば50万円の収賄や横領で逮捕される人が仮にいたら、今でも「バカなことだ」と思う。・・・でも今の自分では稼ぎ出せない。

正直言えば、来月電気が止まるということはない。でもこのままだと確実に、半年後か8か月後か、何もかもが行き詰まる、その不安の予測に耐えられなくなった。

起きている間、ほとんどの時間お金について考えている、その「虚しさ」に耐えられなくなった。

お金は大事なことはわかるが、お金を第一に生きていたくない。お金は必要以上には要らない。そう思っていた。

ニュースで「少しのお金のために人をケガさせた、殺した」というのを見るたび、「いや、お金じゃないよあんた」と思っていたが、そして今でも強く思っているが、でも今はその人みたいにお金のことしか考えていない。

大金が欲しいんじゃない。急な出費(就活用の靴がない、バイトに必要なシャツがない)にもそれほど不安にならず暮らせるお金を手元に置いておきたい。

たまに預金が3ケタでも全然平気、という人がいる。そういう人からしたら、「お金あるやん」と思われるかもしれない。でも私は不安なのだ。そういう生活をしたことがないからだ。うちも親戚も、金持ちではないが、お金に困っている人はほとんどいなかった。持ち家で、子どもを私学に行かせて、たまに車を買い替えて、外食もして、という生活。

規模が違うがマリー・アントワネットもこんな感じだったのかなーと思う・・・。

親から了承を得た後泣いた。

親は私がそれが必要だと信じきっていて、私が遊びに使ってしまうかもしれないとは1ミリも思っていない。遊びに使うわけではないけど、なんでそんな子どもを信じることができるのか意味不明で、高齢者がオレオレ詐欺に引っかかるわけだと思った。ていうかもう自分がオレオレ詐欺をしているような気がしてきた・・・。

そして、誰にも頼れず、しかも自分だけの生活じゃなくてシングルマザーで子供を育てている人もいるのに、と思って、泣いた。

これでお金を借りることに抵抗がなくなるんじゃないかという恐怖もあった。

そしてお金を借りられると分かったのに、将来の不安が一切消えなくて絶望的な気分になった。50万円でも200万円でも不安は消えないのだろうか。

私は別に王妃ではなく、芸人になりたいとか、アイドルになりたいとか、無一文で世界一周したいとか、「破天荒で才能と運がめちゃくちゃ必要な人生」を目指しているわけではない。

「日本語教師という」、勉強すれば誰でもなれる、地味な仕事をしたいだけだ。

それが、こんなことになるもんなのか・・・。

毎月、求人情報サイトをいくつもスクロールして(まさに徘徊)、振り込まれた「数万円」のお給料の明細をチェックして、時給計算して交通費計算して所得税を確認し、その額が銀行に振り込まれたかチェックする。

こんなこと「1つの大きな会社」に「週5」フルタイムで「ずっと」働いていれば、一切やらなくていいこと。かけなくていい労力だ。経理がしっかりしている会社なら給料が間違われることもない。毎月決まった手取りが振り込まれる。

私は浪費しているんだろうか???? 生きているだけでかかるお金。

家賃は4万円代で、服も靴も仕事に必要な最低限のもので、コートはぼろぼろだけど何年も買い替えてない。テレビが故障したけど買い替えてない(録画ができなくなったけど画面は映るので)。家電も10年くらい前に家を出る時に買ったものか、もらったもの。もうすぐ壊れ始めるかもしれない。

食費はたぶん高い方だと思う。自炊がどうしても苦痛なので総菜を買う。カルピスやお菓子も冷食も買う。毎朝コーヒーも飲みたい。コンビニにも行ってしまう。お米は体にいいと信じてちょっと高い玄米を買う。そして何より酒。タバコもパチンコもゲームもやらないが、酒はやめられない。酒とおつまみ代で月に4000円くらい。コロナで飲み会がないから1人で飲む。

会社員時代に将来のためにと思ってかけた(貯蓄型の)保険が、家計を圧迫しているので、見直す。

趣味は、映画や本を読むことで、それはお金を払って買う。旅行もきらいじゃないけど、コロナ前でも、帰省と、年1~2で近場の国内。新聞もとってる。インテリたちの対談動画に課金している。Netflixも観る。

・・・これは、不相応な生活なのだろうか・・・。

その分働けばいい。

自分でもそう思う。働かないで何言ってんだ?

日本語教師は、最初は非常勤で週2~3日、月5万円程度からのスタートになると聞いていた。最初は授業準備に時間がかかるからそれほどたくさん入れない。

基本的に非常勤講師の給料はコマ給(時給のようなもの)で、それが1800円~2000円。1日4コマ、週2で8コマ、月に32コマ。それで計算される。授業準備は勤務時間ではない。

そして今は生徒がいない。だから授業もない。一部の学校では研修手当が出るが、研修がない、あってもお金出ない、ひどいとお金を払って研修に出ることになる。

そもそもボランティアが6割の世界で、お金が発生するという感覚がうすいのかもしれない。

でもそれは、なる前から分かっていた。

それで、土日の仕事をしている。誤算だったのが、全ての土日に仕事が入るわけではなかった。その2日で2万円ちかく収入が減る。

日本語教師で週2、土日は仕事が入るか分からないので空ける、そうなると残り平日3日。そのうち半日は日本語ボランティアをすることにした(これは学校以外で教える訓練を積みたかったから)。無給である。でもそれは訓練だからいい。あと1日は授業準備として、あと週1~2日はたらかないといけない。

でもその「週1~2日」という仕事が「見つからない」。

それは「甘え」だと言われると思う。私は仕事を選んでいるからだ。

仕事を選ばなければ、工場ラインや清掃などの単純肉体労働、フード系、接客販売、テレアポ。仕事はある。選ばなければ。

でもその仕事を通じて、少しでも将来に役に立つ何かを得られるような仕事がしたい、と思ってしまっている。というか、嫌なことや苦手なことで週1~2日を消耗したくない。できれば今までの経験を活かせる仕事で、それほど体力を使わない仕事だといい。授業準備に支障が出ないように。

でも「週1」の事務仕事はない。事務というのはそういう仕事じゃないからだ。雇う側の気持ちや都合を考えたら、私だって週1しか来ない事務バイトなんて要らない。

話は変わるけど、映画「ノマドランド」を見た時、かなり最初の方で、何ともいえない複雑な感情が襲ってくる場面があった。

「ノマドランド」は、アメリカで、高齢者が家を持たず(持てず)、Amazonや、キャンプ場管理、砂漠の中のファストフード店などなどの単純労働に従事して日銭を稼ぎながら、アメリカ中を仕事を求めて、車で旅するノマド(遊牧民)になっている・・・ということを描いた映画です。もちろん彼らは年金もない保険もない。病気になっても病院に行けない。でもみじめと思わず、むしろ自分が選んだ道で「ホームレス」ではなく「ハウスレス」なだけ、このキャンピングカーこそわが家だ、という誇りを持って生きている、そういう話だった。私が書くほど暗くはなくて(笑)ユーモアもあって、むしろアメリカの自然すげー大陸広いーという映画なので、おすすめです。

あの主人公のノマドの女性は、昔は国語(文学)の教師だったと分かるシーンがある。

ある日、昔の教え子家族とバッタリ遭う。生徒のお母さんは心から女性のことを心配して「先生、家がないならいつでも泊まりに来て」と言う。悪気はないが同情している目。ノマドの女性は、子どもに「私が教えたことを忘れてないわね?」と言う。するとその子は、シェイクスピアのマクベスを暗誦するのだ。

(あの部分がマクベスと分かる人だけが分かるようになってること含め)「うわーーーーーー」と思った。

昔、教師というある種のインテリだった人すら、Amazonのロボットの代わりのような仕事をしながら生きるしかないのか!

衝撃だった。

いやAmazonの仕事も大事な仕事だし、その女性は誇りを持ってそういう生き方を選んでいるということなので、それはそれでいいのだが、とても考えさせられた。ていうかAmazonを頼むのがちょっと怖くなった。。。

もともとの知識とか経験とか教養とか、何の関係もない。ただただひたすら、時給のために働いて、そのお金で食料を買って(車では調理できないからほとんど缶詰とか)燃料を買って、その仕事がなくなれば次の仕事を求めて移動する・・・壮絶な生き方。

というか、近い将来の私やん! と思った。

そして、片足突っ込みかけている。

私は、自分でたしかに選んだ。どうしても無理だったから会社を辞めた。正社員の数々の福利厚生をあきらめた。自分でお金を払って学校に通い、日本語教師になろうと思った。アルバイトとしては割のいい法律事務所職員も辞めて、自分の意思で引っ越した。

お金の使い方の、何かが間違っていたんだろうか。

あるいは体や心をむしばむくらいに働いていないことが? ・・・私は週に1日は何もしない日がないと本当に無理なんです・・・。身体も強くないが、メンタルがあまり強くない。

私はたしかに、自分の意思と欲望だけで行動している。誰にも強制されていない。「好きでやってる」。ぜんぶの選択肢がそう。今、はたらいていないことだって、自分の選択の結果だ。

どうしても毎日同じ電車で会社に行くことは難しかった。価値観が違いすぎる人たちと一緒にいなければならないのが苦痛だった。日本語教師は、これからも需要のある、社会的にも間違っていない仕事だと思った。私はいちおう大学を出させてもらって、官公庁でも企業でも勤務したことがあって、事務の仕事ならそれなりに役に立てると思う。でも、そういう仕事はない。

健康なら自分にかかるお金は自分で稼がねばならない。それはそうだと思う。自分の稼げる範囲で生活を組み立てなければならない。それもその通りだ。

でも今の収入の範囲で生活を組み立てたら、一体、何のために生きているのか分からなくなりそうだ。楽しみの本も新聞も映画もやめて、お酒も飲めなくて、もちろん日本語教師の仕事は楽しいかもしれないけど、仕事と生存のみの生活。

人生で何も我慢していない人はほとんどいないと思う。「いやだけど」お金のために会社に行く。「いやだけど」お金のために今は配偶者と別れない。

私は仕事に「いやだけどお金のために」を持ち込むのをやめたかった。それは私にとっては人生の消耗だと思ったからだ。でも甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘すぎた。毎月の支出はもう減らせない。何もしなくても収入以上に支出がある。でも保険以外は、本当に、不相応な生活はしていないつもりだ。保険も、手持ちの預金が少ないからこそ、病気になった時と、老後のためにかけていたのだ。ネイルとか美容院とかスタバにも行ってません。許してください。

何がいけなかったの? 何の選択が間違っていたの?

結婚していれば安定していたのだろうか?

前に私の雇用主が、「結婚というのは、国がいちいち個人の面倒を見るのはコストだから、そのコストを【家庭・夫婦(の相互扶助)】に負担させる制度でしかない」と言っていて、私は非常に不愉快だった。

(何が不愉快なのか、まだはっきりと指摘できないが、本能的に間違ってると思った)

結婚している人たちが、結婚していない私たち独身を支えてくれているのだろうか? 私たちも税金を納めているのに? 結婚するか・子供を産むかは、完全に個人の自由であるべきだ。国家のために結婚したり子供を産むんじゃない。したい人はすればいい。でも私は、結婚と出産をしなかった。しない人は国民じゃないのか? 国家の構成員じゃないのか?? 結婚している人たちと同じような生活水準を夢見てはいけないのか?? ・・・そんなこと誰も思ってないし言っていないのだが、ひどい被害妄想にかられるようになった。「いや、フツー、独身の方がお金も時間もあるでしょ」って、ええそうです。独身で正社員で長くそこで働いているなら。

若かった頃、非正規労働者が40代になって派遣切りに遭い・・・というニュースを見るたび、私は「そんなの当たり前じゃん」「雇用の調整弁は必要でしょ」「なぜ30歳になる前に正社員になっておかなかったのかしら?」とアントワネット様のようなことを言っていた。(あの台詞は史実じゃないらしいんですけどね…) 新自由主義の内面化すごい。なぜか私は労働者のくせに、経営者視点だったのだ。なぜ・・・。

ほとんどの非正規の人たちは、どうやって正社員になるか教えてもらえず、そしてそんなこと考える暇もないくらい疲れ果てていたんだと思う。そして一部の人たちは、固定化された組織や人間関係がきついと感じる人達だったのだと思う。私のように。

今、派遣切りにこそ遭っていないが、ふつーに、週1~2じゃ非正規の仕事しかないし、そもそも「本業」にしたい日本語教師も非正規スタートだし(数年がんばれば正職員への道はあります)、私の履歴書は非正規まみれだ。

きちんとした仕事を持ち、自活する。当たり前のことだと思っていた。でも、できなくなった。今、一番、人生で混乱している。

会社辞めたことも、たくさん転職してきたことも、関西に引っ越したことも、日本語教師になりたいと思っていることも、何も後悔していない。全然間違っていると思っていない。

でも、生活という現実が「間違ってるよ」と私に言う。

健康な身体があって、それなりに知能も身に着けてきて、でもうまくはたらけない。

それで生きていていい理由がわからない。

でも今日もご飯を食べる。


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この本、なかなか面白かった。でも当たり前だが、この本を読んでどう行動するかが大事で、この本を読んだからってお金が増えるわけじゃない。

ただ、同じような人がいるという事実は、ちょっと楽になった。


これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m