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ステイホームで働いてない最中に「働くこと」を考えた。

(※約4400字)
▼私はよく「働きたくないなあ」と漠然と思う。金があってもなくてもそう思う。

※ここで「ヒトデナシが! この時代に甘えてんじゃねえ!」と瞬間的に腹が立った方。多分、読み続けるともっと腹が立つと思うので、ここで閉じてくださいませ。。。不快な気分にさせてすみませんm(__)m 
一応、今は親元から自立し、働いてきております。。。


ここは私の思索の場・思考実験の場。世間からアホと思われても、私は「書かないと考えられない」タチなのでご容赦ください。
じゃ、続けますー。


▼もちろん「健康なのに働かない」なんて、それは「悪いこと」であり、「消費して楽しく生きているだけでいいのか?」「社会に何も還元していない!」とも思う。
(あと、リアルにそんな生活してたら貯金がなくなる)
でもー、それって「人間に生産性を求める→社会で有益な人間こそエラい」ってことにならない? という詭弁も浮かぶ(詭弁ですよ…)。

▼「健康等の事情で働けない人もたくさんいるから、働ける人は働いて、社会を回さなくちゃ!」とも思う。
「私は高等教育を受けたから(受けられるような環境にいたから)、それを還元しないといけないのかも?」とも思う。
そうすると「高等教育を受けた女性が家庭に入ることは?」→→「いやいや家庭に入って家事育児をすることも「働くこと」でしょ!」と思う。

・・・だいたいこの辺をどうどうめぐりする。
(※専業主婦を否定するつもりは全くありません。高等教育をうけようがうけまいが、自分の望むように生きるのがよいのです。100%そう思います)

▼ちゃんと因数分解しよう。

私は「まったく働きたくない」わけではない。

私にとって「働く」=「満員電車に乗って、尊敬できない人や価値観が合わない人とも一緒に、社会に意義があるかわからないことをやる」というイメージ。 

(イヤイヤゾーン→→OKゾーン)
・満員電車/通勤→→通勤しないor徒歩通勤とかならOKかも
・合わない人たち→→関わる人を選べるならOKかも
・仕事の社会的意義→→自分が意義を感じられることをやるならOKかも

おそらく上記OKゾーンに当てはまる仕事はある。が、①賃金が低く安定しない、②私にないスキルを求められている、可能性が高そうだ。

①は、例えば、町のおいしいパン屋さんのパート
②は、例えば、クリエイター。

結局は優先順位だな。
①も②もイヤなら、既存のカイシャで出来る限り我慢できる働き口を探すか、もしくは、③自分で何かビジネスを始める、しかない。


▼カンブリア宮殿で「ボーダレス・ジャパン」が特集されていた。
ちゃんとお金を生みながら、社会問題を解決する会社(ソーシャルビジネス)だ。

ボーダレス・ジャパン 企業HP
https://www.borderless-japan.com/

私もこんな会社で貢献したいけど、口ばかりで全然行動伴ってないわ・・・と落ち込んだ。
でも私はこの企業の商品を購入することで、賛同・貢献できると思い直した。
自分自身がそういう会社や事業に「働く」で携わるかはまた別でいいんじゃないか。

▼「お金なんて要らない」なんて全く思わない。
でも働く=お金を稼ぐ、ことなのだろうか? 

ではお金を稼ぐとはどういうことなのだろうか? 

本当に「お金を稼がないと生きていけない」のだろうか?

例えば、Eテレの『やまと尼寺精進日記』に出てくる尼さんたちは、お金は稼いでいない。
でも畑仕事や山仕事やお寺の修繕、お花をいけたり料理やイベントなどの「仕事」をする(彼女たちは、はたらきづめ、動きづめである)。
里の人(お寺は山のてっぺんにあり山のふもとに住む人たちは「里の人」という)から食べ物をわけてもらい、それを料理して、里の人に振る舞う。
お金は介していないけど、尼さんたちは間違いなく「はたらいて」おり、生きていけている(もちろん、電気代とか水道代のために「現金」がいるだろうから、寄付は受けているかもしれないが)。
あれが、私の「はたらく」イメージにぴったりくるような気がする。
仏教では、料理も掃除も「ごはんを食べる」ことも、すべて修行だそうだ。
生きること、他の人の役に立つことをすること、食べていくことがすべて「はたらく」で「修行」。

……かといって僧侶になりたいわけではないーーーーー(笑)

▼転職活動しようと思い、自分の履歴書を作っていたら・・・
まあ、ときめかない 。・゚・(ノД`)・゚・。 
今から「企業に勤める」画(え)がまったく浮かばない。
かといって、何か食い扶持を稼げる手段が思いついているわけでもない。
ニートする気もない(ニートしたらいつかは就職しなければならない)。
組織に勤めるのがいやだな。。。

転職活動つらい(そろそろ殴られる気がする。。。)


(矛盾するようだが)”転職”自体が苦痛なのではない。「シューカツ」という言葉に代表されるような日本におけるそういう「活動」が苦痛。履歴書を書くのが面倒だ、ということもあるけど(笑)

でも、もっと根本的に苦痛。

最初の新卒時の就活から違和感がある。日本の職探し活動の「フォーマット」が苦手だ。

…先進国ではほぼ同じ感じなのだろうか?

▼転職活動は、どんなに先進的なサイトを使おうが、結局は「企業のあいている職種・ポスト」を探して、そこに自分が合うか合わないかを探し続けること。

「自分がどうしてもやりたくて、かつそれがカネを生む」ことは、私の中にはない。
「やりたいけどお金にならない」ことはある。(こういうnoteを書くこととかだ)
せめて、人づてにつながりたい。
一から知らない風土の企業に行って自分に合うかなんて天文学的に確率が低いと思う。

▼「人を募集するときの文体」も好きじゃない。
キャッチコピー。あれ誰が考えるんだろう…。
募集するときの独特な広告文体…ホットペッパーとかと同じ文体なんだけど(笑) 
リク〇ートが開発したのかな?(笑) 

(※以下、イメージです。実際の広告とは関係ありません)
【安定収入♪ 人と接しなくていい仕事♪】
♪が無理(笑) あとこれは多分単純作業だ。黙々とやる系。
【社員全員が仲良しです!】
嘘っぽい。本当だとしても、全員必死に「仲良くしよう」としているのではないか??
【飲み会・ランチ・サークル手当…福利厚生がスゴい!】
これはたぶん本当にお金は出るんだろうけど、売り出すところはそこか?
【あなたの夢、ここにあります】
いや、ないです。

とかなんとか言って、これまでは「こういう(吐き気が出そうな文体の)募集広告」を見ながら、転職活動を繰り返してきたわけですが。
もっとエグゼクティブな層には、エグゼクティブな募集広告があるんだろうか?(笑)

私が応募できるのって、こういう企業しかないんだなーって、自分の身の程を思い知らされるような気がするのだ。
(※念のため。広告の文体が合わないと言っているだけで、こういう広告を出している企業の価値うんぬんについて話しているわけではないです。それはステークホルダーが決めればいいことで、部外者がどうこう言う筋合いはない。ほんとにない。)


毎回転職活動を始めるたびに、「あ、苦痛だった」と思い出す。

この募集に応募している時点で自分が「道化」になったように感じる。
自分の尊厳が失われていく気がする。
道化を演じて、必死に「普通ぽい、マトモに働ける人ぽい」感じを演じているような気がする。

確かに、私の無駄に高すぎるプライドは、これまでやってきた仕事に見合ってない、かもしれない。
(プライドは、捨てるべき時には捨てられるよう、訓練の最中です。。。)

でも
プライドなんか捨てろよ。
お前がマトモに働ける場所なんてここしかないんだよ。
転職市場でお前なんか求められてないんだよ。

って言われているような気がする~~~。
いや、確かにそれは、私の現状のスキル面から言えば、一面真実なのかもしれないのですが、、、

私はただ、「私が大事にしているものを捨てないと、麻痺させないと、カイシャには、社会には適応できない」と言われているような気がしてならないのだ。


でも演じているのは私(求職者)だけではない。
企業も、みんな精一杯着飾った文章をそこに載せる。
基本いいことしか書いてない。当たり前だ。全然信用できない。
最近はやりの、ベンチャー的「素」っぽい感じも、前職で作成の裏側見ちゃったから「いいカメラマンとデザイナーいたら演出できちゃうんだよな」って思う。
辞めた人がたくさん載っているパンフレット。

道化と道化のぶつかり合い。
だから面接の場って独特の空気が流れている。
「感じ良くしなきゃ」
お互いがマックスで意識しまくってる合コンみたいに。


▼就職や採用をあっせんして営利を得るという構造自体も、気持ちが悪い。
「女衒じゃん」という思いが消えない。←コラコラ、「口入れ屋」でしょ。。
さんざんお世話になっておいてアレですが(ほんとだよ)。
採用ビジネスとか人材派遣業って、大きな会社が多い。
規模を大きくしないと生き残れない業界なのかもしれない。
でも「儲かってんだろうなー(笑)」って思う。
それはもちろん、そういうビジネスをやっているんだから当然の報酬だ。「お金を生み出す」こと自体は素晴らしいし、何かを成し遂げるには必要なこと。なんだけど…(笑)

▼私は転職の募集・採用自体がなくなればいいとか、そういうことを言うつもりはない。
転職なんて普通のことだ、という世の中になってほしいとも思う。

転職を楽しみながらサバイブしているビジネスパーソンもたくさんいるだろう。
「私自身、転職活動をやろうと思えばやれる」ことは、これまでの転職活動で証明した。

ただ、私にとっては、就職や転職活動は、感性に合わなくて苦痛な作業なのだ。
私個人の問題である。


▼できる仕事だけをして暮らしたいな…できればあまり人のいないところで…。
でもそういう生き方するなら都会がいいよね。
地方こそ、仕事が選べない。遊びに行くところも少ないし、私は美術館とか映画館とかないと生きていけないし、大自然とか田舎への憧れもそんなにない(田舎で生きていく覚悟はない)。

でも今後、リモートワークが当たり前になっていくんだから、地方でも仕事あるのかな?
東京から丸ごと田舎に引っ越してきて雑誌作りを続けてる出版社とかあったような。。。
でも、リモートワークできるような職種じゃないとだめか。
どこでも価値を生める編集とかデザインなどのクリエイティブ系か、IT関連。うーん。


▼地に足をつけ、やれる範囲で、私の意に沿わないことをできるだけしないようにして生きたいんだけど。
それが一番の贅沢や……。
それができるように、何かスキルがないと難しいか。

スキルがない人は、仕事があるだけマシと思わなければいけないのか。


優先順位だな。
人間、優先順位です!

そこそこ便利な暮らしか、精神の開放か、世間体や名誉か、安定か、やりがいか。


お前の未来を選べ。(©スマグラー)


これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m