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弥太郎日記二月分をマガジン化&夜の街問題

 岩崎弥太郎が第一次長崎出張時に残した日記を、二月分まで紹介することができました。二月の日記を一日から順に読めるように配置し、「岩崎弥太郎 長崎日記2(安政七年二月)」としてマガジンにまとめました。

 この二月、弥太郎は長崎での生活に馴染み、外国事情の調査に派遣された藩士として充実した日々を送るようになります。二月の日記には、隣藩への出張の失敗といった挫折も含めて、一人前に成長していく過程が活き活きと描かれています。一月下旬の「失恋」の詳述も含め、弥太郎日記の「正直」な記録ぶりは、内面を告白するという近代以降の奇習(?)を知らない江戸期において希有のものです。唯一無二ではないか、と私は疑っています。

「岩崎弥太郎 幕末青春日記」は、引き続き3月分の紹介に入りました。

 ところで、弥太郎が「長崎に馴染んだ」とは、江戸期における唯一の国際都市長崎、同時に特異な「遊郭都市」でもある長崎に深入りしていったことでもあります。特に後者においては、かつて初心うぶだった弥太郎が妓楼での振る舞い方を心得て調子に乗って行き、三月になると一端いっぱしの遊び人のように振る舞い始めるのです。

 ここで注意すべきは、花街丸山での遊蕩は、従来弥太郎個人の問題と見なされて来たのですが、これは正確な認識とは言えないだろうということです。弥太郎の日記だけを見て、また現代の常識に照らして読んでしまうと、彼の日記が、同時代や、それ以前に類例のない希有のものであることが見出せない事態と似ています。

 十分な理解のためには、江戸期~明治の遊女や遊郭のありようや、長崎において遊郭こそが都市の中核であったことなどを視野に入れる必要があります。というわけで、「夜の街問題」という個人的に苦手な分野にも、私は足を踏み入れなくてはならないようですが、そう遠くなく報告できるものと考えています。


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