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【無料公開】祝福の生クリーム(エッセイ集『サッド・バケーション』より)

2023年の11月に『サッド・バケーション』というエッセイ集を自費出版しました。そして、その本作りの経緯を話すトークイベントが3月16日に開催されます。イベント自体がエッセイの内容にリンクするのでは!と気付いたので、一篇を無料公開することにしました。良かったらどうぞお楽しみください(筆者より)。


 2023年3月18日に通っていた専門学校を卒業した。でも間違えて予定を入れてしまっていて、それで私は卒業式に参加することができなかった。だから卒業できたのかは本当には分かっていない。でも先に用事を入れてしまっていたから仕方がなかった。代わりにその日は八王子まで鳥公園という劇団の『ヨブ呼んでるよ』という演劇を見に行ってきた。


 そもそも、この専門学校は高校を出てから2つ目の学校だということも影響している気がした。高校卒業後、最初は名古屋の大学の理学部というところに入った。それで物理を勉強するコースに進んだのだった。入ってみると勉強より楽しいものがいろいろ見つかってしまったので、大学院に行ったり研究者になる道は早々にやめることにした。代わりに、本が好きだったのを思い出したので東京の出版社に就職した。そこで3年くらい過ごしているうちに、「やっぱり本のデザインがしたい!」と思ったので入りなおしたのがこの専門学校ということだった。昼間は本のデザイン事務所で働き、夜は授業。そんな生活を2年間送っていた。まあ、そういう意味では卒業式も2回目だし、出なくてもいっか、と思ったのだ。


 卒業式の少し前には卒業展示があった。通っていたのはデザインの学校だったので、学生が作ったものが勉強の成果として並べられる。私は夜間の学生で、授業ごとに課された最終課題の中から優秀なものだけが選抜で展示されることになっていた。私の最終課題からはポスターと本が展示され、3つ枠があったうちの2つが選ばれたのでちょっとだけうれしかった(とはいえ、私の優秀な友人たちは3つとも選ばれている人もいたので、なんとも言えない)。


 そもそも、私はこれまで展示をして人を招くというイベントを経験したことが一度もなかった。だから、人が来てくれるということが実際のところどういうことなのかをぜんぜん分かっていなかった。単純に言ってしまえば、誰かが作ったものを並べ、それを誰かが見に来るということだろう。よくギャラリーに行くので割と当たり前というか、想像できる光景だった。

 だから展示なんてしても、ふらっと友達と遊んだりご飯に行くくらいのことかと思っていた。だが、それをする側に回ってみると実際にはもっとものすごいことが起きているのだと分かってきたのだった。人が時間と労力を使って、自分の作ったものを見に来るということは予想していた以上に重たい事実で、まったく想像の域を出てしまっているくらいすごいことだった。何人も友人が来てくれたことが本当に嬉しくてドキドキしたし舞い上がってたくさん喋ってしまった。

 友人が来たら案内して周り、別の友人に紹介した。さらに、知らない人が私の作ったものを興味ありげに眺めて手に取ってくれたり、クラスメイトが私の作品を見た連れ合いを紹介してくれたりと、とても幸福な空間がそこにはあった。それだけでは終わらず、誰かがSNSに私の作ったものをアップしたのを見つけたり、友人が帰ってからわざわざ長い感想をLINEしてくれる(印刷して壁に貼った)。なんて幸せな世界、すばらしいイベントなんだ、と思った。そのすべてに私の存在や人生をすっぽりと広く大きくされる思いで「なんだ、こんなところに生きられる場所があったのか」と思った。直接そう言われたわけではなかったが、あなたはそうやって生きていていいんだよと言われたように感じられたのだ。

 話は変わるけれど、私は今回、人がどうして結婚式をやろうとするのかが分かったような気がした。卒業展示があるまでは、なぜ結婚式なんていうお金と時間と面倒がかかるようなことをみんな進んでしたがるのか分からずにいた。きれいな格好をしたい、とか一生に一度だから、とか親族のためにとか、様々な理由があるけれど、それはあまり根本的な説明になっていないようで納得できずにいた。そもそも婚姻制度の意味や必要性だって分かっていない。それは国家にとっては必要なものかもしれないが、個人にとっては、なければないで不要なものなんじゃないかと思っている。

 私のなかでは婚姻制度は子どもを作り、育てやすくするために国家が作ったシステムで、現状それは結婚「できる側」と「できない側」で得られるメリットが明らかに変わってくることを意味している。つまり相当にアンフェアな制度だと思う。


 ところで、結婚式にはこれまでの人生で出会ってきた友達がたくさんやってきてくれ、みんなが自分の結婚をお祝いしてくれるという側面もある。さらに、お金をかけて素敵な服を身にまとうこともできるし、その日、その場では結婚する2人が無条件に祝福され、主役になることができる。なんというか、誰かの存在とか未来をただただお祝いできるということは、すごく素敵なことなのではないかと、私は思う。


誕生日についても同じようなことが『断片的なものの社会学』を読んでいたら書いてあった。「手のひらのスイッチ」というエッセイだ。

「誕生日をお祝いする、ということの意味が、ながいことわからなかったが、やっと最近になって理解できるようになった。(中略)その日だけは私たちは、何も成し遂げていなくても、祝福されることができる。」

 そうだ、そう考えるとすごく納得できる。結婚式はみんなから無条件に祝福されるための式なのだ。誕生日だってそうだ。私たちは毎日頑張って生活していても基本的にはあまり褒めてもらえない。だからこそ、人生には定期的に甘い生クリームを食べてもいい日が必要なんだと思う。だからいくらベタでもケーキには入刀するし、何回でもロウソクの火ををふうと吹き消すのだ。


 私が卒業展示で感じたものも、そう、祝福されることの強烈な多幸感だった。友人たちが卒業を祝って遊びに来てくれて、私の作ったものを見て「いいね、いいね」なんて言ってくれる。その喜びに浮かれ上がっていたんだと思う。

 さらに言えば、何もしなくても、ただ存在しているだけで祝われたいと思った。自分で自分の生活を肯定していく以外に、もっと、無条件で誰かに祝福されたい。今回、卒業展示に出たところで、唐突に脳の隙間から謎の肯定感がにゅっと注入された。ん、なんだこれ。舐めてみると甘い。あ、これも生クリームだ。おそろしいほどの強烈な甘さだった。祝福の生クリームだ。

 今回の経験を通して、結婚式や誕生日のような「誰かの存在や前途を祝福する/される」ことのすばらしさを身をもって知ることができたような気がする。それだけで、私は専門学校に行き直してよかった。

 私は祝福をされたいし、友人を祝福したい。友だちみんなの存在を肯定したいと思っている。もし、誰かに祝われたり肯定されたいと思ったら、ぜひ私を呼び出してほしい。その時は飽きるまで生クリームを食べよう。


◎トークイベントについて
日時:2024/3/16(土)19:00〜20:00(途中参加、退場OK)
会場:双子のライオン堂会場&オンライン
参加費:会場チケット:1500円/配信チケット:1000円
企画:双子のライオン堂


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◎ZINE『サッド・バケーション』オンラインショップ


飯村大樹(いいむら・ひろき)
1995年、茨城県水戸市生。フリーランスでデザイン・書籍組版業。好きな食べ物はたこ焼きとモンブラン。
お問い合わせは info@iimurahiroki.com までお願い致します。
Twitter: https://twitter.com/iimuraaaaaa
Instagram: https://www.instagram.com/iimuraaaaaa/
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