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「不安を生きる」を読んで

著者は島田裕巳、元大学の教授で劇作家でもあります。

簡単に言えば「不安というものからは簡単には逃れられない」と著者はいいます。

気になる項目をピックアップしながら読んで行きます
その中でも宗教的なことは省いていきます。
ぼくは、宗教に関しては全く知識と興味がないので飛ばして読んでいます。

なぜ「不安」に興味があるのか?

ぼくが元うつ病患者だったからです

今は回復して生活楽しんでいます。原因をたどっていくと「いつも不安な自分」がそこにいたんです


もし同じように今「自分が不安」でしょうがない人がいたらお茶を飲みながらでもなんでもいいので少し読んで見てください。


自分に関係ないな、別にどうでもいいし、と思えば読むのをやめるだけです簡単にやめることができます

それでは始めましょう



あなたに質問です。
不安と悩みの違いは知っていますか?

即答できたら、不安なんてあまり気にしていないことです。
あなたにはあまり参考になることは少ないので読みすすめるのはここまでです。それでは、「不安」のない生活を謳歌してください。


「不安」って一体なんなの?と少しでもおもっているなら、少しの時間、これから先を読み進めてください。(少しは参考になるかもしれません)



●悩みとは
あっちと、こっち、どうしよかなと決められないことが「悩み」
自分に利益がある方を選択できる解決の仕方があります。


●不安とは
それに対して「不安」というものは、つかみどころがないということ。


「悩み」は打ち明けられるけれど「不安」は打ち明けられないんです。


今悩んでいるんだけど聞いてくれない?と言われれば「なになに聞いてあげるよ、よかったら一緒に悩み解決しよう」といえます。

それが、今不安なんだけど聞いてくれない?

自分でも、何が不安なんだかわからないんだ。と言われると答えようがなくなてしまいます。


何が不安なのかもわからないものは、誰にもわからない


「ええと、何が不安なの、なんだか自分まで不安になってくるなー」となってきます。

不安というものは、本人ですら何に不安になっているかがわからない状態です。まず何に不安なのか、なんで不安が生まれてくるのか、という簡単には解決できないこと多いことがあります。それと探して突き止めようと絡まった糸を一本一本ほどいて、難しいプロセスを踏んでいくことが必要になるということです。


「不安」というものは自分でもわからない、他人の不安もわからないという「不安」のループに入っていき、抜け出せなくなるような状況が多いんです。

どうやら、現在の世の中がそうなっているようです。
不安になるように世の中(社会)が作らているんではないかと錯覚をしてしまいます。

不安=誰にもわからない

わからないけれど解決したい。という要望に答えるために
「不安産業」=精神科医、本、カウンセリングなど、多くのものが商売として成り立っていくようになっています。


ぼく自身、「不安」だったからどうすれば不安から抜け出せるかを探しているときに、このように文章に起こして自分で確認をしてみたいという好奇心で今書いています。


ぼくは今まで生きてきて、「不安」という状態をいくつもクリアーしてきたけれど、さほど「不安」に関して動じていなかったんです。

それが年齢を重ねるごとに「不安」という要素がより多くなり、自分でも何が不安なのかわからなくなってきたんです。

不安がなくなればいいし、その不安自体がわからなくなってしまったんです

そして、「うつ病」発症。


癒やしと無限のループ

著者は、世の中はこうなっているんだというものの見方ができないから不安になるんだ、といいます。

現代は、物の見方がはっきりしないし、はっきりさせない。その事が「不安」の引き金を引いてしまうということになります。

だから人は、「不安」を教えることも、伝えることもできないんです。

不安を癒そうと一生懸命いろいろなことをしますが、結局不安を解決することができなんです。

不安を解決するのではなく「癒やす」ことを多くの人たちは、メディア、本SNS、など多くの情報から吸収して消化しようとしている

癒やされては、また不安になり、そして癒やされる。一向に不安を抱えたまま生きることになります。

「不安」と「悩み」は違うといっていましたが、いっそのこと不安を悩みに変えてしまえばどうにか解決ができるわけです。

不安をどんどん悩みに変えていけば、解決策は見つかっていきます。

不安を抱えている人たちは、いろいろな消費をしてくれるんです。

例えば、アロマテラピー、ヨガ、衝動買い、ネイル、温泉、旅行、食事などあなたを癒やします。という「殺し文句」で誘わるんです。

そういう産業にとっては「癒やし」は都合がいいことになります


更に付け加えると、「うす毛」。これは誰でも悩みますよね、そして不安になることを宣伝するんです。


そして人間は、「将来全く髪の毛がなくなったらどうしよう」。この言葉が不安や消費に火をつけます


うす毛を不安と思っていないし、悩んでもいない。しょうがないことだから仕方ないよ。と思ってしまえばそこに消費という行動は生まれなくなります。

それでは経済が回らなくなるんです。


だから人をどんどん不安にさせて、悩ませて、解決できなくして、甘い蜜を吸わせるように。「大丈夫です、これであなたの悩みや不安をなくせます」という殺し文句で商品を売っていくんです。

今の社会が「不安」を「悩み」に変えさせないで、なんとか不安のままにとどめて、「癒やし」という方向に向かわせます。

そのような流れに対して、どう対処しなければいけないかが重要です

不安をバネにする

歌舞伎の世界では子供があとを継ぐということが多い、有名な市川海老蔵といえば知らない人は少ないのではないでしょうか。今でもいろいろメディアを騒がしていますから、これも宣伝という仕掛けがあるのかもしれません


ある取材で、歌舞伎の跡継ぎでいいことはという質問に「将来が決まっていること」とこたえ、嫌なことはと聞かれると「将来が決まっていること」と同じ答えをしています。

普通は将来が決まっていればいいのかなと思いますけど、本人にとってはいいとも悪いともどちらにでもとれるということです。

普通の人は成約など決まった将来がある人はあまりいません、その分自由なんですがその自由が逆にどうしたらいいかわからない不透明なものになります。

決まっていないことに「不安」になってしまうんです。

不安とともに生きる

「不安」というものからは簡単には逃れられません


逃げられた気がしても本当は隠れているだけで、何かのきっかけでまた「不安」が出てくる

結局この繰り返しになる

不安=覚悟が決まっていない

覚悟が決まっていないとどうしても不安になります


一度しっかりと覚悟を「決める」ことをしないと、不安から逃れることはできない

「不安」そのものを根本的になくすという考えではなく、不安のない社会を構想すること自体がそもそも矛盾していて、人間は必ず不安を感じるようになっている

不安を消そうということではなく、不安をバネに次のステップに進めるかどうかを考えることが重要なんです

時代や季節の変化があるようように、不安にもそれぞれの変化があり、不安をいっぱい感じるときもあれば不安を感じないときもある

考え方を変えていくと、不安をかかえたまま生きていてもいいことになるんです。

不安を解決するというよりも、どのように「不安をバネ」にしてうまく活用できるかが重要

簡単に解釈すると「不安とともに生きる」です



不安をあおる「癒やし」産業

現代社会では、不安がなかなか悩みに変わっていかない。

悩みに変えようとしないで不安のまま過ごしている人は不安でいることに安住しています

安住しているように見えますが実は安住させられている


それが「癒やし」という方向に向かわさせているのです。

癒やしということを表面に出さなくても、癒やし的な効果を狙っていたり、そういうものに結びつくようなものが多くなる

癒やさえたい、癒やしたいという人がいなければ産業は成り立たないわけです。不安を悩まに変えて解消するのではなく、不安に安住している人たち、不安を抱え込んでいる人たちを必要としているわけなんです。

それが今の社会の巧妙な仕組みです。

不安を抱え続けている人たちは消費欲が非常に高いため派手な消費をしてくれんです。

簡単に言えば「不安」を抱えている人たちはそういった企業にお金を搾取され続けることになります。

最後にはあたりまえのことなんですが、「不安」というものは体、精神と密接な結びつきがあります

それではなぜ、不調になったり、不安定になったりするのでしょうか?


それは、生活が不規則で3食規則正しく食べていなかったりするからです

睡眠不足から不安定になったり、睡眠はとっているけれど睡眠が浅かったりすることで不規則になってくる。

そう考えると、昔から誰でもしていることをしていれば、そんなに「不安」に関して臆病にならなくていいんです

早く寝て早く起きる、食事はきちんと食べ、規則正しい生活をする。
たったこれだけで相当「不安」から開放されるということです。

いろいろなものや、ことに惑わされないということが重要なことになってきます。


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