2-28-29綱島VELOCHE_240

日々と写真,1998年(2)~1999年

私が綜合写専の卒業にこだわったのは「履歴書の空白」を作らないためだった。いささかもったいない綜合写専の使い方だったとも言えるし、そんなことにお金をつぎ込むなら当時歴史的低価格に下落していた純金でも買っておけば良かった。確か1g千円台くらいだったと思う。

2018年現在、当時の4倍ですからねー、金。まあそんなことが予見できるくらいなら、私はとっくにトレーダーになって大金持ちになってる訳ですよ、現実の私はだめ人間になって生活保護寸前になってるわけですが。

卒業の少し前から明治神宮の写真室でアルバイトを始め、卒業後は、そこの契約社員になった。「カメラマン」ではなく「デジタルアルバムの編集者」という建前だったが、実際にはまだデジタルアルバムは時期尚早だったのかあまり売れず(今ではデジタルアルバムが当たり前だが、1999年の話ですから)、実際にはスタジオアシスタントとか宅配便の伝票打ちとか、お宮参りの赤ちゃんの写真で子供を笑わせる役とか、そういうことやってました。

まあそういう訳で、綜合写専卒業以降もめでたく「履歴書」は繋がった訳ですが、2018年の今、自営業なんですよ、だから履歴書なんか屁の突っ張りにも役立たないって訳で、やっぱり金買っときゃ良かったなとか、けれどそれが出来るくらいなら今頃トレーダーとして(無限ループ)

1999年には、綜合写専で知り合った卒業生・中退者の仲間で、グループ展を開催したりもした。


そのときの写真も本当はここに出したいのですが、私はひねくれまくって「30cm×40cmの印画紙にアナログモノクロプリント120枚」という、今となってはA4のスキャナにも掛けられないような馬鹿な作品を作ったりして、相変わらずだめっぷりに磨きを掛けていた訳です。

佐竹さん。綜合写専って、空いてさえいればある程度スタジオとか勝手に使わせてくれたので、同級生と一緒にそれを借りて撮影の練習なんかもやってみた。まあそんなの卒業直前にちょこっとやった程度なんで、とうてい授業料の元が取れるほどという訳にはいかなかったですが。

このころ、私、何を撮りたかったんだろうな。

ある意味、女の子なら誰でもいいとか思って撮っていた時期もありました。ごめんね佐竹さん。

まあ、関西なら夙川、東京なら多摩川台公園、って思う訳ですけどね、個人的には、桜。アヴェちゃん。彼女は後にプロカメラマン(結婚式)になりました。私は・・・何だろう?

ミロちゃん。飲み物の「ミロ」が好きなのだそうだ。今は結婚して、お母さん。

暇な日には一人で多摩川台公園の桜なんか撮っていた訳です。意味不明。桜はもういいよ。

多分、多摩川台公園。

多分、これも。

多摩川台公園。

睡蓮。

話は前後しますが、綜合写専の卒業制作に私は、「海岸の砂」を出しました。それっぽい屁理屈をくっつけていた気はしますが、その真意は、講師陣に対する「お前らなんか砂でも食らっとれ」です。

ところがですね、私も単純なもんで、それをちょっと校長に褒められただけですぐ本気になって、鎌倉由比ヶ浜に通ったりした訳です。サンダルで波打ち際を撮りまくって、帰りに近所のマンションの外水道で足を洗って。本当にダメな奴。

猫は今でも好きです。

再び蓼科。小島さんの別荘。1998年夏。

蓼科。

蓼科。


左の彼は今、プロカメラマンになりました。川島なお美とか高田純次とか、色々な会社の社長とか撮っているそうです。最近は動画の撮影編集も業務としている。右の私は(略)

伊良子岬。

伊良子岬。

砂はもういいよ。

伊良子岬。

伊良子岬。

伊良子岬。

伊良子岬。

宝箱。

伊良子岬。

伊良子岬。

高速船。

伊勢。

伊勢。

伊勢

伊勢

大雄山。

大雄山。

大雄山。この頃、私、何撮りたかったんだろうな。

大雄山。

綱島。

高崎。

敷島。

敷島。

浅草。

宮ノ下。

そうそう、1999年2月には小生意気にも卒業旅行なんて行ったんですよ、1人で。行き先は宮城の松島。この松原は「余景(よげ)の松原」。最寄り駅のJR野蒜駅ともども、津波で流されてしまったという話を聞きました。心が痛む。その後JRは、大きく内陸寄りのコースを取る高架で復旧され、野蒜駅は移転した。

宿の朝食を食べ終えたところ。この宿も流されてしまった。心が痛む。

その5日後には小島さんの別荘に遊びに行ったり、ある意味豪遊していた時期。

そのときの私の心象。

あー、グループ展に出した写真(と思う)のスキャニングデータ、出てきました。

これは確かグループ展に出した。

これもそうかも。ろくな写真だしてないなー。

グループ展のあと、打ち上げと称して、小島さんの蓼科の別荘に、みんなで遊びに行ったり。このとき私、始めて湯河原駅で降りたんです。

ピーナはずっと絵を描いていたり風景を観察したりしていたと思う。

いや、鉛筆も削っていたみたいです。

9月だったけど結構寒かった。

この写真には、珍しく「タイトル」があります。「青春18きっぷ」。

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