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1995年8月の西宮北口

阪神大震災から26年が経ちました。
私にとっては生まれて初めての震度7級の地震だったと思います。
それが、育ちの故郷で起きたことに衝撃を受けました。

朝5:43、千葉県柏市の自宅で寝ていましたが、大きな地震が来て目が覚めました。その後「京都で仏像がひっくり返ったらしい」というニュースをテレビか何かで見て、関西か、それにしては柏も揺れたな?と思いました。なぜ神戸でなく京都の情報が先に入ってきたのかというと、神戸が壊滅的な被害を受け、情報を出すことそのものが出来なかったのです。

当時私は学校事務職員として川崎の住吉高校に勤めていました。
昼休みには事務長がテレビをつけるのですが、その画面、「まさかそこが日本」だとは思わなかった。高速道路が横倒しになっていた。昔、カリフォルニアで大地震が起きて高速道路が崩壊している写真をみた記憶があります。しかしカリフォルニアではないという。「神戸」だという。

私は6歳から14歳まで西宮で育ちました。
学校には公衆電話があります。ポケベルが女子高生の間で必須だった頃。生徒の昼休みが始まる前(事務職員は12時~13時、生徒は12:30~13:30)に、西宮の同級生に電話を掛けました。すると、

「飯島お前どうやって電話掛けてきてん?」
「学校の緑の公衆電話。緊急時には最優先でつながるはず」
「緊急も何も、朝から電話なんか1本も来んぞ?」

あとは、まあ、報道の通りです。

この時からだったでしょうか?日本で「災害ボランティア」という動きが起ち上がったのは。

その夏、休暇を取って西宮北口に行きました。
北口商店街で呉服店をやっていた同級生は既にプレハブの店舗で営業を始めていましたが、何でも元々の木造のお店は「両側の建物が倒れてきて挟まれたことによって奇跡的に崩壊を逃れていた」のだそうです。お祖父さんが寝ていましたが、無事だったとのこと。これは震災とは関係ないのだろうとは思いますが、お店は手芸雑貨店に業種転換していました。

彼のお店は「北口商店街」でしたが、そこから2本分岐する商店街があって「北口市場」と「新北口市場」がありました。しかしそのとき彼のお店の目の前にあったのは、更地でした。多分「みなとや書店」だと思いますが、そこだけコンクリート造りだったため、ぽつんと取り残されていました。震災直後は全てが瓦礫となっていたそうです。

当時西宮・上ノ町に住んでいた同級生がNifty Serveの会員だったので、テキストメールで色々現地の情報を読ませていただきました。まだ画像を添付メールやSNSで共有するなんて夢のまた夢だった頃。

表紙の写真は、私が1995年8月に阪急西宮北口駅の2階から撮った、北口市場・新北口市場跡。この1枚を撮るのが精一杯でした。


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