三流なりの戦い方を教わる。

  中学からの幼馴染A君からは、いつもたくさんの事を教わる。

彼は30代の頃、一時期だけどプロボクサーだった。驚くのは学生時代に格闘技の経験が全く無かった事だ。


周りの仲間は、これからの人生を案じて誰一人として賛成しなかったけど、彼はプロになった。

並大抵の努力ではプロにはなれない。10代の若い練習生に混じって身体を鍛えて、リングにも上がった。その時、どんな事を考えていたかを聞いてみた。

「興味はあるけど始められないのは、最初の目標がそもそも高過ぎるからだよ。結局うだうだ考えて、じゃあ始めないのか?っていったらやるしかないだろ。ならばスタートは四流、五流からだ。一流にはなれないって分かってるからこそ、目指すのはそこから三流くらいにどうもっていくかなんだよ」

彼は続けた。

「冷静に考えて30から始めて高校でインターハイに出てた選手とかに勝てると思う?」


何事にも一歩が踏み出せない人は、僕も含めて最初の目標がそもそも高すぎるのだ。

これは自分の能力が把握できていない傲慢さがあると思う。


そういえば中学の頃、演劇の台本が思うように書けなくて逃げ出した事。

大学入学後、学部に違和感を感じたのに、ほとんどノーリスクの編入試験を受けないで、結局ズルズル卒業した事も。



社会人になっても、引っ込み事案、後ろ向きスタイルで、いつも斜に構えていた新人時代。


一流のやり方以外は、ガラクタ。といった傲慢なものの見方があったと思う。


始めた時点で学生時代にボクシングをやっている相手と対等に殴り合うのは過酷なチャレンジだ。


そこをちゃんと理解しつつ何歳からでも成長する。スタートからもしかしたらすでに四流、五流の道かもしれない。


でもいいじゃないか。やりたいんだから。

頑張って10年くらい続けていれば誰でも成長する。

なら目指すは二流で生きる道。

「二流の中にも限りなく一流に近づいた二流だっているんだ」

彼の言葉はいつだって力強い。でも怪我なく引退してよかった。



のっけから二流の話。なるほど二流には二流の生き方がある。大事なのはわかっているかどうかだ自分の玉をちゃんと磨いているか?ちゃんと磨いていない、ちゃんと自分の玉がどうなっているのかを見ようとしないから色んな意見に惑わされる。自分を失ってしまうのはこんな時だ。今の人生に不満が心から湧き出て来たら一度自分の玉を見直してみるのはどうだろう。ちゃんと磨かれているか?放っておいてくすんでないか?ちゃんと磨いたらピカピカになった玉から見えてくる景色がある。ちゃんと自分から動いて張り切って手に入れた人生がちゃんとみえたら、今の人生がそこから来ている事を実感できる。
謙虚になれる。その玉の大きさじゃ、手に入れられる人生もこのくらいだな、と思えたらもっと動かないと、もっと磨かないと、とも思える。
今から始めたところで、学生時代からやってた奴に追いつけるわけが無い。

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