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ネパール人医師の行動から感じたこと

ネパールに赴任していた時、交通事故に遭った。ネパールの地方では病院が少なく、医療従事者も不足しているという状況下、必要な医療サービスを受けられずに命を落とす人たちも多い。その事故で、ネパール人医師が取った行動を通して感じたことを書きたい。

ネパールの病院に赴任

当時は、特定非営利活動法人アムダというNPOに所属し、当時はアムダが運営サポートをしていた小児科・産婦人科専門病院​のマネージメントに携わるために2001年から1年程ネパールに赴任していました。その病院は、首都のカトマンズ以外で唯一の小児専門病院だったのですが、病床数は80床、毎日150人~200人程の外来患者が来る程の中堅病院でした。

病院には、リキシャに乗って通っていたのですが、病院の信頼度が高かったこともあって、毎日のように「今日、お家に遊びにおいで~!」と近所の人たちが声を掛けてくれていました。病院のスタッフ達も、仲間のように受けれてくれて、地域全体で温かく接してくれていると感じる、そんな日々でした。

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ハイウェイで交通事故に遭遇

そんなある日、もう一つのプロジェクトサイトであるネパールの東部にレンタカーを借りて、病院の院長と日本人看護師と一緒に行くことになりました。その時です。乗車していたレンタカーに大型トラックが突っ込んでくるという交通事故に遭ったのは。

交通事故に遭った時、私は眠っていたので記憶にないのですが、ぶつかった瞬間に私は車の外に投げ出されたようです。私自身は頭から出血し、車を運転していた運転手さんは両足を骨折、助手席に乗っていたネパール人医師(病院の院長)は、体のあちこちにガラスが刺さり、重体だったと後から聞きました。

救急車がなく、公共バスで病院に

当時、日本のように救急車がすぐに来るような体制があるわけでもなく、特に、外科医の数が全国的にも限られているのがネパールの現状でした。

事故が起こった時、近くで畑仕事をしていた女性達が駆け付け、道路に出て公共バスを停めてくれたそうです。しかも、乗客が乗っているのに、バスの運転手に病院まで私たちを運んで欲しいと嘆願してくれたようです。同乗していたネパール人医師は、知り合いの外科医に電話して、バスが向かっている病院にかけつくように依頼してくれていました。そして、私たちは、公共バスで病院に運ばれ、治療を受けられることに。

手術中に停電

それまでの間、ずっと気を失っていたのですが、気が付いたのは院内で停電が発生した時でした。ネパールでは電力が不安定だったので、停電はしょっちゅう起こっていたのです。

むし暑い・・と思って目を開けると、薄暗い院内の廊下に横たわっていました。そして、横には、ネパール人のおじさんが厚紙をうちわ代わりにしてパタパタと扇いでくれていました。

車に乗っていたはずなのに、今どこにいるのか、何が起こったのか全く分からず、日本人の看護師さんに聞いてみると、交通事故に遭い、頭の皮膚が切れたので、12針縫った所だとのこと!

「院長は?」と聞くと、今、ようやく手術を受けているとの返答。手術室からは、「うぅぅぅっ」という叫び声にも似たうめき声が聞こえてきて、院長の声だと気づきました。

ネパール人医師の取った行動から

全員手術が終わり、交通事故が起こってからの全容を同乗していた日本人の看護師さんから聞いて、深く考えさせられました。それは、ネパール人医師(院長)が取った行動についてです。自身も交通事故に遭い、重症にも関わらず、外科医は一人だけだったこともあり、自分の手術を一番後回しにするように病院に依頼していたのです。事故で深い傷を負い、しかも、ガラスが体中に刺さっているという状況で、自分ではなく、他人の命を優先した行動を取れるもんだろうか・・と、彼の「医師として」以上に「人として」の行動に、言葉では表現し切れない思いを抱きました。

利他の精神が大事とはよく言われます。でも、自分の命が危険にさらされている時に、自分ではなく他人を優先して行動を起こせるだろうか・・と、今でも、自問自答することがあります。

20年程前に起こったことですが、今でも、ネパールで、このようなすばらしい院長のいる小児科・産婦人科病院で1年間働き、毎日のように新しい生命と死を目の当たりにする日々を過ごせたことは人生の宝だと思っています。ネパールでの滞在を通して学んだこと、得たこと、感じたことを今後も、少しずつ紹介できたらと思っています。

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おまけ:ネパールでは、このように車の上に人が乗車することも日常茶飯事。私も、一度、乗ったことがあるのですが、なかなかのスリリングです!

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