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散歩道々

 触られるのは苦痛だ。よく知りもしない人間から、顔から身体から撫で回されるとストレスが溜まる。耳や尻尾を掴もうとする輩は、本当に他者への配慮が欠けている。
 私は問いたい。お前たちは見ず知らずの人間に顔を撫で回されたらどう思うのかと。尻に近い部分を無遠慮に触られるのが嬉しいのかと。
 今一度、考えてほしい。
 ふん、と鼻から大きく息を吐く。それから、潰れたように伏せて地面に顎をつける。
「わんわ! わんわ!」ふにゃふにゃした声が近づいてくる。転ぶために歩いているようなチビが、奇妙なフォームでこちらへ来る。
 チビは、厄介だ。怯える。泣く。そのくせ平気だとわかると、遠慮も容赦もなく毛を握る。どれほど痛くても、相手は年端もいかないチビなのだ。怒りを露わにしては、私の品位が問われてしまう。
 厄介者の保護者が、「わんちゃん、今お留守番してるから触らないでおこうね」とチビの進路を阻んだ。一安心だ。気を緩めるのも束の間、絶叫が響く。
「わんわぁ! わんわあぁ!」
 ひょいと抱えられたチビが、こちらに手を伸ばしている。いや、手どころか、全身で私を求めている。保護者は手慣れた様子で、泣いて暴れるそれを縦に抱えたり横に抱えたりして足早に過ぎていく。
 なんて迷惑なんだ……。
 ふうん、と先ほどより大きく鼻息を吐いて、目を閉じる。春の日差しが背中を暖める。車はひっきりなしに車道を走る。私が寝そべる歩道には、車の半分ほどの歩行者と自転車。時折、散歩中の同種。ここに繋がれてから、このパン屋に入ったのは5組。彼がなかなか出てこないのは、きっと焼きたてを待っているからだ。私はパンを食べない。それでもこの店先に漂う柔らかくて温かい匂いは好ましい。つい、うとうとしてしまう。
「お待たせ」
 知った声が降って、リードをポールから外す。返事の代わりに尻尾を一振りする。彼の手が、私の顎から頭、背中に尻尾へと、わしわしと滑る。
 気安く撫で回されるのは好きではない。だが、彼は別だ。大切な家族は、別だ。
「さあ、帰ろうか」
 さっきのチビと対して変わらないような、おぼつかない足取りで彼がゆっくりと進む。ここ数年で、散歩の距離は短く、かかる時間はうんと長くなった。気をつけて進まないと、うっかり彼との距離が開く。顔を見上げて、尻尾でリズムを取りながら家を目指す。
 帰ったら、庭先であんぱんを頬張る彼を見るのだ。その日常が、私は好きだ。

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