出産費の保険適用は筋悪だと思うよ
岸田政権の掲げる異次元の少子化対策.次の一手は出産の保険適用のようです.私も出産に保険が適用されないのはおかしい……と思っていた時期がありました.
しかし,出産への保険適用には2つの問題がある.ひとつは周産期医療に関連した問題.そしてもうひとつは「社会保険とは何か」に関する根本的な問題です.
結論として,出産費用への支援は一律給付金増額で行うべきです.なのですが,今日はむしろその理屈に注目してください.保険適用もするし給付金も支給すればよいといっている人がいますが...ダメです.
保険適用のために
まずは軽め(?)の話題から.正常分娩に保険適用をする……ためには,
・分娩費用の公定価格を定める
・そのための「標準的な正常分娩時の医療行為」を定める
必要が生じます.これまで各医療機関が様々な形で工夫してきた周産期医療のありかたを画一化・固定化することがサービスの向上につながるとは到底思えない.
なお,このような標準化を支持する論理として「一時金引き上げに伴い,各医院での出産費用の引き上げが生じている」というものがあります.しかし,この問題には競争政策で対処すべきです.
すでに,今月の出産一時金引き上げ(42万円→50万円)にあわせて病院ごとの出産費用を公表する制度の創設がうたわれています.価格が明確になれば,競争を通じて,出産費用は落ち着くところに落ち着くでしょう.
なぜか急に出てきた保険適用の話題はむしろこちらが本丸ではなかと思っています.出産費用という価格の公表を避けるがために保険適用を受け入れたいと思っている人がいるのではないかと.保険が適用されても,差額ベッド代のような形で保険診療収入以上の出産費用を請求することはできる.しかし,出産費用の公表が行われると価格競争・品質競争を戦わなけれなならない.競争回避を優先するために,これまで渋っていた保険適用の議論がいきなり進んだ……と考えるのは穿ちすぎかもしれません.
「保険」とは何か
次に,より根本的or哲学的な問題に移りましょう.
現行の社会保険制度で正常分娩は保険が適用されません.つまりは出産する家計の十割負担となります.もっとも現行でも出産育児一時金が50万円(今月から)支給されるので,その範囲での出産ならば自己負担はゼロになります.
なぜ出産には保険が適用されないのか.「出産は病気ではないから」と説明されることがありますが,少々説明不足でしょう.出産に保険適用が向かないのは「保険とは何か」を整理するとわかります.
保険とは
1) 偶発的なリスクに備える仕組みであり,
2) 多数・多様な加入者がいることでリスクがプールされ,
3) リスクプールによって社会全体での保険事故発生率を事前に予想できるようになる
という仕組みです.保険料の支払事由――生命保険なら死亡,入院保険なら入院のことを保険事故といいます.この仕組みを維持するためには,
・保険事故を自発的に起こすことができない
or自発的に起こした保険事故への支払いは行わない
必要がある.ド高めの自動車保険に加入して,わざと事故を起こして保険金を受けとる……のは保険金詐欺であるという話です.加えて,
・リスクが絶対に発生しない加入者はいない
という点も重要.
入院保険でも旅行保険でも事前に「絶対に事故にあわない」という加入者はいません.そしてどんなに気を付けていても入院したり,旅行中に事故にあうことはある.しかし,一生涯出産しないという人も社会保険に加入しています.
男性は子供を産まないという話ではありません.男性も父として出産に携わることがあります.ポイントは,
生涯性交渉をしない人に子供はできない
にあります(少数の例外はあるかも).性交渉はともかく,子供はもたないと決めた人に子供ができることはないでしょう.
自分の意思で出産したり/しなかったりできるということは...…出産はリスク要因ではないということです.リスク要因ではないことを保険でカバーする(?)というのはそもそも保険の機能を逸脱しているんです.
出産(正常分娩)への保険適用は「社会保険」そのものの論理的基盤を変えてしまう可能性がある.つまりは社会保険が「保険」ではなく「再分配」ツールになってしまうわけです.
鶏を裂くに牛刀を
もともとの政策目標は「出産における家計の経済的負担を解消する」ことだった.これは一時金引き上げと価格公開で達成可能なのです.それにもかかわらず,なぜ保険適用という話が出てくるのか.正直,蛇足です.
さらに,「出産における家計の経済的負担を解消する」ために周産期医療の標準化/社会保険を保険から再分配制度に変換する・・・というのはいくらなんでも目的にくらべて手段の改変が大きすぎます.
経済政策の基本原理のひとつに「政策目標の達成には,もっともコストの低い手段を用いるべきだ」というものがあります.「マンデルの法則」とか「政策の比較優位原則」と呼ばれるどう原理に出産への保険適用は完全に反しています.
陰謀論として
出産への保険適用の主張のほとんどは,
・出産する家計は大変だ
・彼らのためにできることは何でもしてあげよう
という優しい気持ちからでているものと思います.しかし,あまりに早い政治的決断でした.いいですか? 現政権が検討の開始を検討する……ではなく2026年までに目途をつけるとかいうんですよ?
この政治的なプロセスをみると,一部の政治家が日本の社会保険制度にみる大きな問題に気づき始めているんじゃないかと思うんです.
ここで保険の原則を思い出してください.「リスクが絶対に発生しない加入者はいない」...保険ならばリスクゼロの加入者は基本的にいないはず.これは,
・必ず保険事故にあう加入者(リスク100の加入者)もいない
と言い換えることもできる.
現在の医療保険制度における最大の受益者は高齢者です.高齢者の,高齢に起因する各種の疾病はほぼ全員が経験すること.それを保険でカバーしているわけですから,医療保険は現時点でも「高齢者への所得再分配制度」に他ならない.
もちろん全員が高齢になるまで存命するとは限りません.しかし,この「長生きするリスク」をカバーするのは公的年金の役割のはず.
医療保険制度がすでに再分配制度化・年金化していることへの議論を見えにくくするために出産の保険適用の議論が早く進んでるんじゃないか・・・なんて陰謀論が思い浮かんだりするのです.
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