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国立大卒、就活で100社受けた末にアパレルベンチャーを選んだ話。vol.3

 ここでは北海道大学法学部卒の僕が、就職活動中100社以上受け、周囲に猛反対されながらもD2Cアパレルベンチャーに就職した経緯を好き勝手に語っていきます。 進学や就職、転職などで悩んでいる方の参考や心の支え、一歩踏み出す勇気になれば幸いです。

 vol.2では僕の就活を変えることとなる、面接官からの質問について述べていきました。今回は就活の迷走期について語っていきます。

前回記事はこちら

慣れと焦り

 各業界の上位5社をひたすらエントリーしていた僕のエントリー数は80社を超えていました。したがって一日に3社の面接を受け、その合間にカフェなどでESを書くというスケジュールでした。かなり無理のあるスケジュールで、眠い目を擦りながら夜中もESに励みました。それだけでなく、北海道の大学に通っていた僕は都内の土地勘が全くないため移動だけでも体力を削がれていました。

しかしそれだけの数の面接を受けていれば嫌でも慣れてくるものです。はじめの一社で失った自信も徐々に取り戻していき、緊張もしなくなり、口からスラスラと定型文が出てきます。その頃自分ではかなり手ごたえを感じており、他の就活生よりも一枚上手になっていると錯覚していました。それも仕方がないことだったのかもしれません、他の就活生が緊張した面持ちでたどたどしく質問に答える中、僕は綺麗に回答できていたのですから。

慣れと面接の通過率が反比例しているとも気づかずに。

その事実に気づいたとき、僕はどうすればよいのかわかりませんでした。完璧に近い回答をスマートに笑顔で答えているのに何故受からないのか?激しい焦燥感に駆られました。

迷走と不採用の山

 季節は6月に入りジメジメとした気候が続いていました。まるで僕の内面と就活を表すかのように。面接を受けども受けども次の面接に進めず、少なくとも10社は連続で「お祈りメール」が送られてきました。当時は「80社中の10社でしょ?」と言われることもありましたが、就活を通して10社しか受けない学生もいる中での10社連続不採用は、まるで自身の人格や今までの人生を否定されているような気さえしました。

「なんで通らないんだよ、見る目ないなあ」

落ちた企業に心の中で吐き捨てていました。しかし自身の人格や今までの人生を伝えられていないのは僕でした。迷走した僕はもう一度自分を見つめ直します。そこで思い出したのが、はじめの一社での学びである「自分が本当は何がしたいのか?」でした。企業が求めていたのは綺麗な模範解答ではなく、これまでの人生で形成された人格と、そこから生まれるやりたいことだったのだと今ならわかります。

とはいえ、やりたいことなんてすぐには思いつきません。また、当時の僕には世間体やブランド意識という、内から出るものではなく他者からの評価に対する執着が錆の様にこびりついていました。

ーvol.4に続くー


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