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【寄稿】今守るべきもの —宗教2世の立場からみる藤井風について—

本企画管理者の一人であるankl(@ankl_ab)がこの問題を初めて知った際に、一緒にお話していた藤井風さんファンかつ宗教2世のplinさん(@mieee0202)に、この件についての寄稿をお願いしました。

この問題を複雑にしている最も大きな要素のうちの一つが、「宗教2世」問題です。
昨年7月の事件以降、日本では宗教2世問題が大きく取り沙汰されていますが、未だに根本的な問題点への理解が進んでいないと実感することも多いです。

以下の文章が、その理解の一助になればと思います。
また、plinさんのご協力に感謝いたします。




【はじめに】

藤井風ファンのみなさん、また今回の件(https://note.com/ii_yy/n/n5ac17492a446)について興味・問題意識を持ってくださったみなさんこんにちは。

このプロジェクトに寄せられているメッセージにはすでに目を通されましたでしょうか。まっすぐ誠実に語られているものばかりで、ここまで真剣に考えてくださっている方がいるということだけでも勇気づけられます。
まずはそちらをご覧になってみてください。

私は普段、宗教2世アカウントで自らの状況における苦労や悩みをつぶやいている人です。(https://twitter.com/mieee0202)

生まれてから二十数年来、親が信仰していたある新興宗教の信者でしたが、次第に疑問を感じるようになり、今は信仰心がない状態です。
宗教(カルト)から離れようとした私に対する、家族による信仰の強制がいよいよ辛くなり、一年ほど前に家を出て一人で生活しています。

そんな私がなぜここに記事を書いているのかというと、まず一番に藤井風ファンだからです。
彼の音楽に、存在に心から楽しませてもらってきた経験があるからです。
そして今回のことを考え続けたいからです。
(なにかこのプロジェクトの力になれないかと思っていたとき、anklさんに声をかけていただきました)

「何なんw」リリース時に「なんじゃこりゃ!」となってから、YouTubeの弾き語り動画を漁っていたときの高揚感は忘れることができません。
一昨年のアリーナツアーでようやくライブチケットを確保し(武道館のステージに立つ姿は生で見たかったな……。alone at homeツアーなんか各所のセトリみて嫉妬で気が狂いそうになってた)、パナスタも遠征し、今巡行中のツアーのチケットも手元にあります。

ライブでの姿もいいけど、例えば寝そべり配信なんかで、あの”素”を見せられている感じもたまらなく好きでした。等身大で寄り添ってくれているような気がして、気持ちが少し楽になったりしました。

あとは私自身が中国地方の出身ということもあり、彼がいつでもどこでも臆さず自然体で自分と似た方言をしゃべっていることも親近感がわいた一つの理由でした。
そしてその発声におけるリズムが上手く生かされ、聞きなれた方言があんなにおしゃれなR&Bにのっかっているという点も私にとっては非常に魅力的なことでした。

「天才があらわれた……」と彼のファンは誰しもが一度は思ったことがあるかもしれませんが、まさに私もその一人でした(世代全然変わらんけどほんまにすごい思うとるよ)。

1.考えたいこと

多くのファンが指摘していますが、31日未明に投稿されたInstagramのストーリーでの彼の表情は、今までに見たことがないものでした。

びっくりしている人が多かったように思います。あの穏やかで優しいはずの彼が、攻撃的でどこか見下すような笑みを浮かべながら発する言葉は人を無遠慮に刺激するものだったからです。決して好意的に受け取れるようなものではありませんでした。

彼が、誰のどんな言葉や態度に対して怒っているのかということは厳密には知る由がありません。しかしどうやら彼自身の信仰に対する批判や否定に対するものであるらしいということはわかります。

問題は誰がそんなことを言っているのかということですが、少なくともこのプロジェクトのコンセプトはまったく違うところにある(信仰を非難したりカミングアウトを強要するものではありません)となると、本当にそのような言葉を投げかけられるようなことがあったか、論点が誤認されてしまっていると考えらえられます。

では彼はなにを考え、なぜここまで強い言葉で意志を表明したのでしょうか。

今回は宗教2世の立場から、彼の状況がどのように見えているのかということを中心に、この件について補足を加えるようなかたちで書いていきたいと思います。

2.私が感じたこと

ファンダム内で交流するということをしていなかった私は、彼の情報を公式(アプリ)や本人のSNSからしか受け取っていませんでした。

彼が掲げていたものが実はサイババの言葉(教義)そのままだったという事実は、立ち上げ人の一人であるanklさんのツイート(冒頭のリンク先:IIYY記事内参照)をとおして、一ヶ月ほど前に知りました。
(サイババのサの字も知りませんでしたが、情報に敏感なファンは、たとえばMUSICAのインタビューで「HELP EVER HURT NEVER」がオトンに教えてもらっていた言葉であると彼自身が語っていた時点などで調べたりもしたのだと思います。)

MUSICA(2022年5月号Vol.181)のインタビューはこれ以上ない彼の説明書となっているので全文を読んでみることをおすすめしますが、当該箇所は添付記事の「01藤井風とサイババ|アルバムタイトルの意味」での引用文でも読むことができます。彼自身は「HELP EVER HURT NEVER」をアルバムタイトルにすることに最初はためらっていた様子がうかがえます。
またこの記事は今回の件の全体像を掴むのにもよいと思います。

今となってはそんなわけないかとも思えるのですが、あんな風来坊な感じなのもあってか、「ハイヤーセルフ」なども彼自身が辿り着いたものだと勝手に思い込んでいました(彼ならそんなことも考えかねないと思わせるものはあると思う)。

なので、アルバム名からライブのコンセプトまでなにもかもが第三者のそれであるということは、急に彼の姿が見えなくなったような気がしてショックでした。
またある特定の宗教グループ(または体系的にまとまった観念的な思想を共有している集団)のスローガンが入ったグッズを知らないうちに身につけ、知らないうちに教義を口にしていたことに愕然としました(この構造の問題点はIIYYの記事参照https://note.com/ii_yy/n/n5ac17492a446)。

もちろん、彼の振る舞いや言葉の節々から宗教色は感じていました。ただ、なんか親の影響で宗教が好きで、色々まぜこぜにして自分なりに神様というものを解釈しているんだろうなあというくらいにしか思っていませんでした(公式の情報だけだとそんなもんじゃなかろうかと……)。

ただ例のパナスタライブはヒヤヒヤしていました。スポットライトを浴びながら舞台上にゆっくりとせりあがってくる彼の姿はまさに「教祖」そのものでした。真っ白な衣装に身を包み(下記インスタ参照)、あのライブポスターにあるような瞑想の姿勢(下記写真参照)で登場。変に洗練された雰囲気に思わず「えぇ……(これ大丈夫?)」と頭を抱えてしまったのを覚えています。

あのライブ空間での一体感は、かつて自分が信仰していた宗教(カルト)およびその教祖が演出するものとかなり似通っていました。せっかく宗教を離れられたと思った矢先に自分がここにいることは、正直改宗に過ぎないと思いました。それで少し悩んだりもしました。「grace」の歌詞もいよいよ露骨だし、あまり好きにはなれませんでした。

でも、彼ならまあいいかと思ったのです。宗教的なメッセージとは自分で距離を取ることができるし、何よりその人柄と音楽が素晴らしいことには変わりがないし、なにより彼自身の言葉だと思っていたので、この先どうなっていくんだろうという不安感はありながらも、彼のことは好きであり続けていました。

(ああやっぱかっこいいしかわええよな~~~)

当日撮った写真。ライブはこのポーズから始まりました。ちなみに、下の旗には円形状に「LOVE ALL SERVE ALL」のロゴが入っていて、どこか国旗を思わせるデザインになっています。
「grace」のパフォーマンス時にこの旗をでかでかと掲揚する演出があり、「私は今宗教国家建設の現場を目撃している……!」と思いました。先程の記事に埋め込まれている動画などでもその様子を見ることができます(当日はプロモーションも含めてか「grace」の撮影が許可されていたのですが、会場中がスマホをかまえて静かに熱狂している雰囲気が怖くてただ眺めていました)。

そんな状況でサイババとの関係を知ったので、ショックだったものの自分のなかでは点と点がつながる感覚がありました。

そしてまず彼自身の境遇や立場に思い至りました。

それは宗教2世としての藤井風でした。

3.宗教2世としての藤井風

「安倍元首相の暗殺事件をきっかけに、「宗教2世」(親が特定の信仰を持ち、その思想、規律の中で育てられた人を指す)という言葉が日本で広く浸透した一年だったことも、話題が広がった背景にあると思われます」とIIYYの記事(冒頭リンク)にもあるように、このタイミングでこの問題が浮上してきたのは、偶然とはいえそれこそなにか神様的なものに仕組まれているみたいだと思ってしまうほど、タイムリーなことだと個人的には思います。

すでに当たり前の認識かもしれませんが、一概に「宗教2世」といっても、私のようにその宗教から離れたり、そのことによって家族との関係に苦しんだり、ひたすら内面と向き合わなければならないことがつらかったりしたり、また声をあげて社会に被害を訴えたり被害の拡大を防ごうとしてくださったりしている方(本当に勇気がいることです)ばかりではなくて、

真剣に教義を守り、家族とも円満で、宗教的な生い立ちを正面から背負って活動をしている人も当然います。

なんとなく今の世間的には前者のイメージが強いかもしれませんが、大事なのは、どちらが良いとか悪いとかを客観的かつ容易に判断できる立場や基準はなかなかないということです。あってもおそらく使いこなせないでしょう。
そこには何層もの複雑な問題があり、簡単にそこで良し悪し(特にその人個人に対すること)を断じてしまうことは、かえってその本質から遠ざかる結果になってしまいます。

ただわかるのは、風きゅん(唐突)は、この場合でいうところの後者としての2世であるだろうということだけです。

そのあたりのことを、この件について知った直後につぶやいています。

2世に関することを中心にまとめると、

・彼は教義を真剣に信じ、良いものとして教えてくれようとしている
・それゆえなにも騙そうという気や悪気はなく、至って真面目で本気である
・大切なお父さんやお母さんが大事にしてきたものを同様に大事にしている
・信仰対象を積極的に言えないのは、社会の目が気になってしまうから

というところになります。

なぜあそこまで怒っていたのかが少しは見えてくると思います。このような状態で自分の信じる教義や信仰を否定され(たと感じ)れば(少なくともIIYYの周辺には彼の信仰を否定するような言葉はありません。もし信仰そのものを否定することによって彼を非難しようとする人は同時に宗教2世問題への理解度も著しく低いことになります)、冷静になれず怒りや悲しみが湧くことは想像できるでしょう。

信仰対象を明言しないのはプロモーションにおける戦略もあるでしょうが、あのインスタストーリーからは自らに信仰があることに対する引け目のようなものが感じられる(信仰は曲げられんに決まっとろうがっていう話からだれでも欠点はあるじゃろうがみたいな話になっていった)ので、おそらく社会的にあまりよく思われることはないということを理解したうえでの対応のように思います。

これらのことは、おそらくある一定数の宗教2(3・4)世が通ってきた道でもあり、言ってしまえば彼に共感できるところでもあります。

4.まとめ

もちろんこのように断言したいわけではありません。あくまでも推測に過ぎませんし、自分の経験がすべてに当てはまるとも思っていません。同じ宗教2世でも、まったく違うように考える人もいると思います。

ただ、彼をとりまく環境が顧みられないままサイババの信者であるという情報だけが独り歩きし、それがゴシップとして消費されることによってあらゆる立場の人間が傷ついてしまうような状況だけは避けたいのです。

そして、このような動機だから仕方がないよねと言いたいわけでもありません。
むしろ、そうであるからこそ起きてしまっているのが今回提起されていることであり、そうであるからこそ運営チームがうまくケアしてあげられればよかったと思うのです。

彼の表現に不可欠なその宗教や信仰を、彼がなにも気にすることなく、本人もまわりも大事にしながらやっていける方法は他にあったはずです。

もし、サイババに関する言葉が入ったものを身につけたくない人のためのグッズ展開、宗教的な演出に関する注意喚起、勧誘が目的ではないことの表明、歌詞に込められた宗教性の具体的な解説などがあれば……。

今のやり方で起きてしまう問題を考えることができなかった責任は本人にも運営にもあるでしょう。ただその宗教性や信仰が彼の表現に不可欠だとわかった時点で、運営は綿密に手を打つべきでした。
上記のような対応はまだ遅くないと個人的には思います。

今守るべきは、ファンの選択の自由です。
今守るべきは、「藤井風」というブランドではなく、藤井風という一人の青年個人です。
その意識を運営とファンが同様に持てたとき、解決に向かえるような気がします。

5.風きゅんへ

まあ君は絶対に読まん思うけど、わしが思うとることちょっとでも伝わればええなと思って書かせてもろてます。今は色んな人に色んなこと言われとったりするんかね。そうじゃったら大変じゃ思う。
でもメッセージ見てもろたらわかる思うけど、大切にすべきファンがここにはたくさんおるんじゃなかろうか。君自身や君の言うことを無条件に受け入れてくれる人の方を大事にしたい気持ちもわかるけど、それは君が大切にしとる言葉の意味とは反対の方にいきよる気がするよ。

正直サイババのなにがあかんのて思うとるじゃろ。あの教えのどこが悪いんと思うとるじゃろ。あれがわしのコアなんじゃけど、それが嫌いいうことはわしのことも嫌いいうことにならん? わしもわしの神様がおったときそう思うとった。せやからサイババじゃったら聴かん言われて自分自身まで否定される気持ちになるのはわしにもようわかる。

でも宗教って普遍的なもんじゃないと思うんよ。実はだれでもわかってくれるもんじゃないんよ。自分がええと思っとるもんが人にとっては全然よくないことだってあるのは知っとるじゃろ。わからせよう思うて人を傷つけることだってあるんよ。多分これはいいもんじゃと言われて育ってきとるけえみんながあの教えのどこがいやなんかわからんと思う。でもそれは君がオトンオカンを大事にしてそれを信じとるからということだけなんよ。それはそれでめっちゃすごいことなんよ。

ほいでだれもその宗教を信じるなとは言うてないよ。ただいやじゃと思う人もおるという認識だけは持っといてほしいだけなんよ。ほんとはいやなものなのにいやじゃとも思えんかった人もおるんよ。みんなそこに悲しんどるんよ。

いやじゃったらどっかいけえとも思うかもしれんね。あのストーリーはそんな感じじゃったもんね。でも君のことすごい好きになってくれとったファンにそれ言えるん? 好きだったもんから離れるんはほんまにつらいことなんよ。
わしかてずっと一緒におりたかったわ。

おわり