向山新之右衛門の赤鎧
井伊の嫡流でありながら、江戸時代を通じ諸所を転々とした挙句越後与板二万石に落ち着いたものの、時には彦根藩の先兵扱いを受けた与板井伊藩。その臣として幕末井伊直安治世、諸奉行に任じた向山新之右衛門着用の具足が発見されました。二万石の家における五十石は藩中の上士であり、その珍しい形式(腹巻式具足)と相俟って与板井伊家家臣幕末期使用の基準が窺い知れる貴重な発見となりました。
特に兜の飾りである「前立物」が彦根藩のような長い金の天衝(てんつき)ではなく、小型の銀の半月(三日月)であるところが資料上興味深いところです。これが与板藩中一般の方式であったか否かは残存史料が少いので今のところ決定的ではありません。
具足そのものは煉韋造(ねりかわづくり)の腹巻という軽便実用的な仕立となっています。
井伊家って彦根藩だけじゃないの?とたまに(結構・・・)尋ねられます。
徳川四天王である井伊直政の嫡子・直継は十年あまり彦根にいましたが、最終的に家としては越後・与板藩へ、
そしてもう一人の息子・直孝が大坂の陣での大活躍などもあり最後まで京の玄関口・要衝たる琵琶湖彦根を警護する、彦根藩として維新まで続きました。そのため、井伊家は2つあるのです。
こちらは真田家の赤鎧です。
そしてこちらが、井伊直孝の赤鎧。
二人の父・直政の遺品や甲冑はここにも。
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