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参劇感想文|小澤南穂子【ヒコウキグモ】


わたしは、2022年6月にいいへんじ二本立て公演に参加しました。
『器』という作品と『薬をもらいにいく薬』というニ作品を通して「死にたみ」について考える公演でした。
この公演を通して私が思ったことは、この公演に参加したことを忘れないようにしたいということです。
中高生で舞台芸術にめざめ、大学では8割型、食べることと演劇をすることしか考えていないような生活を送りました。この約10年は、何度も何度も、演劇が好きだという気持ちに立ち返ったり打ちひしがれたりするような日々でした。
なぜかというと、演劇はやってると楽しいけど、それがどれだけの「しごと」をするか考えると、あまりにも、「コスパが悪い」からです。
というのも、いろんなことを勉強したり、考えたりしながら丹精込めて、長い時間と重たい労力と大きなお金をかけてひとつの作品をつくるのに、それがわたくしの望むまでのひろがりを持たないような感覚に陥ってしまい、

「あーあ、なーにやってんだろっ」

という気持ちになってしまうのです。

「意味ないぜー」

と思ってしまうのです。
意味は、求めてしまうのです。

そして、今回の公演も例外ではなく、丹精込めてつくられていたと思います。しかし、いつもとは違う点がひとつだけありました。

それは、たしかに、たしかなる、たしかめられる、ひろがりがあったことを、実感、できたということです。演劇が、わたしが「意味」となせるような「しごと」をしていた気がした。

今回の公演の重要なテーマのひとつである、メンタルヘルスの問題や、それを取り巻く人や社会みたいなもの。

最近話題になっていたり、よく出会すことが増えたりしたことも要因の一つではあるかもしれないけど、こういうものに関して、「観劇をきっかけによーく考えることを始める/始めたい」と解釈しても過言ではないような感想をいくつかいただいたのです。

ちょっと年上の知り合いと、たとえば「死にたみ」を抱えているということが何かしらのハンデになりかねないことや、その原因が、それによって周りに仕事の皺寄せがいってしまうことだということ、そもそもそうなってしまう組織の仕組みに問題があるのかも、、、みたいな話をしたことは個人的にはトップニュースでした。その人は割と無頓着な人だと思っていたのでなおさら。

話のきっかけになる上に、実践のきっかけになることって、すごいことだなぁとつくづく思いました。こういうことって珍しいんじゃないでしょうか。
特にテーマとなっていた「死にたみ」は、説明をする人にとってもされる人にとってもわかりにくい。それを遠目で見ることで少しわかりはじめられること、そういうことが公演から感想までの間で感じられて、それは、この公演の成功を一部表しているのではないかと、鼻息を荒くいたしました。

わたしは、この公演にそれだけ力強いものを感じました。いやーすごいすごい。
それだけの強力な存在感を持った公演、そして作品に、俳優として参加することができたことがとても嬉しく思います。

わたしは、日々演劇に励まされたり打ちひしがれたりしますから、これから何十年も演劇を続けるかどうか、今は、断言できなくなっています。とはいえ、これからどんな人生を歩み、どんな人間になろうとも、人間の力ってちっちゃくてもすごいんだねって気持ちで、忘れないようにいたいと思います。それはわたしの生きたみ宣言です。

とりあえず、よく頑張ったねって頑張って自分に言います。よくがんばりました。

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