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空っぽのアメリカンニューシネマ「明日に処刑を」。スコセッシがだしたアメリカンニューシネマへの一つの答え

前回に引き続き、1960年台後半から1970年台後半にかけてアメリカンニューシネマというジャンルの映画がアメリカの若者の間で大流行しました。

当時のハリウッドはヘイズコード(検閲)がかけられていて、暴力シーンやわいせつシーンは全てカットされていました。
夫婦が同じベッドで寝るシーンさえもスクリーンで流すことができなかったそうです。

そんなヘイズコードの撤廃と同時に登場したのがアメリカンニューシネマです。
ベトナム戦争の真っ只中でのリアルな死が日常にある世の中で、これまでの絵空事ばかり描いてきたハリウッドに対して、反体制を掲げる若者が強烈な暴力シーンやセンセーショナルなセックスシーンが描かれるアメリカンニューシネマに若者たちは熱狂しました。

今作はそんなアメリカンニューシネマ全盛の時代に作られた作品です。

アメリカンニューシネマはかっこいい人気俳優達がうちに秘めた体制への怒りをぶちまけながらも華々しく散っていくという悲劇のヒーローものでした。だから最後に散る姿すらかっこいい、男が憧れる男って感じなのです。

しかしこの映画の中ではなんだか誰もかっこよく映っていない、でもそこがこの映画のいいところなんです。なんでいいところなのか、、、ブログで観ていただきたく思います。

アメリカンニューシネマの形式をとりながらアメリカンニューシネマをシニカルに描く、そんな映画だと勝手に思いました。

では!

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