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「ミスミソウ」

どうも、お久っちー。

2021年初のnoteです。
相変わらずフリーターしてます(多分3月くらいから働くかも)

で、相変わらず映画観てます。
1月は今のところ19本。
いやー、早いもんで1月ももう少しで終わりですね。たまにtwitterで「今年の1/12が終わりました。」なんてしたり顔でつぶやいてるやついますけどあれなんなんですかね。
周期の節目をただ単につぶやいているだけだからもちろん間違ってはいないんだけど、なんだかチラッとだけむかついてしまう。俺だけが気づいている事実だぜ…みたいな表情が透けて見えるからだろうか。まぁいいや。
でも実際に一年の1/12が終わろうとしているわけで、そうなるとnoteも多くて12本程度しか書けないことになるんですね、、、ってことで更新しました。
映画見るくらいしかやってないから映画について書こう。

ちなみに2020年は232本の映画を観た。これまでの人生で一番映画を観た年になった。
別に多く見れば良いわけじゃないけれど、おかげで自分が物語のどんな部分に興味が湧くのかが少しだけ分かった。

多分自分は「境界」というものに興味がある。
普段境界ってのは分かっているようで実は分かっていない。というかその存在をあまり気にしていない。
例えば恋人同士はどこからが恋人同士なんだろうか。分かりやすいとこでいうと「宣言」という境界線がある。
「あなたのことが好きです」「はい」→恋人スタート
「あなたのことが好きではなくなりました別れましょう」「はい。別れましょう」→恋人終了
と、通常は「宣言」で境界線は引かれる。

でも「あなたのことが好きではなくなりました別れましょう」「は?ふざけんなてめぇ許さんぞ」ぼこっ!ボココっ!…「ごめんなさい、まだ恋人でいましょう」→恋人キープ。
これはどうだろうか。彼ら彼女らは一応は恋人同士のままだ。バイオレンスが登場して少し安直だけど、少しだけここで境界線が揺らぎ始める。

少し進んで「結婚しよう」「え、でも…」「あ?(拳をかざす)」「ひ、分かりました…」→結婚
と、こんな具合で件の二人は結婚したとする。そんで暴力に耐える側(基本的には女性)はなんやかんやで暴力を振るう側にコントロールされていく。
周りから、あるいは社会的に見れば二人は恋人同士で夫婦だけど、内情が分かっていれば単なる暴力を介した主従関係とも考えられる。

たまたま例えに恋人同士を出してみたけれど、関係性は何でも良い。親子だったり、善と悪だったり、夢と仕事だったり、友情や愛情なのか単なる情なのかだったり、そんな何となく絶対的だと思われている価値観の境界線が揺れて見える物語が自分は好きなんだなぁと、去年たくさん映画を見気づいた。

ちょっと前に見た「37seconds」なんかは個人的に親子の境界線が揺れ始めるシーンがなかなかに目も当てられないくらい解像度高く描かれていてすごく良かった。
全身が麻痺して一人で生活しづらい子供への親の過剰な保護。
「あなたが心配だから」という言葉は果たして良心なのか、それとも子供を縛る鎖なのか…そんな境界線がクリアに描かれている。

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ほんで、今回は「ミスミソウ」という映画について。
原作は同タイトルの漫画(未読)
監督は「先生を流産させる会」(これも未読、でも今日レンタルしてきました)の内藤瑛亮さん。
主なキャストは山田杏奈、清水尋也、大谷凛香、大塚れな、等

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ちなみにnetflixとamazon.primeで今観れます。

で、この映画で揺らぐ境界線はというと個人的には「善と悪」のラインかなーと思っている。

東京から新潟の山奥に越してきた女子中学生が狭いコミュニティの中で半端ないいじめに遭い、最終的に家族まで被害に遭い主人公が復讐する

というお話なんだけど、なんとまぁこの復讐シーンが凄まじい。
最初の静かなテンションから急にタランティーノ級の行き過ぎたスプラッタ映画に様変わりしていくんだけど、その落差がとんでもない。

その落差は演出としても意図的に現れてくる。
ストーリー序盤は雪の無い季節で、次第に冬に入っていき背景には吹雪のような寒々しい雪が舞い乱れる。
カラフルだった景色は雪のホワイト一色になっていき、そこにもう一つこの映画で重要な色が一色、分かりやすすぎるくらいビビッドに画面に頻出してくる。

展開はグラデーショナルに激しくなっていって、画面もどんどんショッキングな方向へとドライブしていく。
この方向転換が映画としてすごくエキサイティングだ(苦手な人もいると思うけど)

初めは主人公に同情する。なんたって半端ないいじめられ方だ。
いじめる方も容赦なく、狭い村社会での閉鎖的な世界で溜まった鬱憤を主人公に向ける。その様は嫌悪している者を排除しようとする拒否反応ではなく、バイオレンスを楽しむ快楽的な暴力に見える。
最終的に彼らは復讐されるわけだけど、先ほども書いたようにその復讐の様が凄まじい。
「え、そんなする?」「人道的にどうなの…あ、でもここまでする理由は確かにあるか…」「いやでも、ちょっとやりす…あ、あー!!またやってる!!」「やりすぎ!やりすぎ!」
と、最初の展開からは予想もつかない復讐劇は感情移入しかけていた心を全力で自分の良心へと引っ張りなおしたくなる程。
でも、それでも、これが彼女の復讐なんだよな…これほどまでしないと許せないよな…とも思う。まさに「善と悪」境界線が揺らいで、ぼやけてくる。

うわぁ、やりすぎ…いやでも、分かる、お前の気持ち分かるよ。でも…これ分かる自分って…どうなの。
そんな揺らぎに揺らぐ瞬間に、自分は一番高揚する。考えたくなって、自分なりの答えを探したくなって、自分の言葉で咀嚼したいと思う。

正しいってなんなんだろう、復讐の終わりはどこなんだんだろう、主人公を拒絶する自分はいじめた側にどんな復讐をすれば納得するんだろう。
と、悶々と考え出す。そこがこの映画の良いところだと思う。
まぁ一見ヘビーに見えて実は底抜けに馬鹿げた映画でもあるのでそこまで深く考えなくてもと思うんだけど、やっぱり境界線を問うてくる映画ってのが好きだ。
答えは多分無いし、逆にそれらしきものでごまかされると腹が立つ。
完全にすっきりしないで投げっぱなしにされるくらいが自分にとってはちょうど良い。「ミスミソウ」はなかなか良いところまで投げっぱなしにしてくれてて、今自分は喜んで投げられた何かを追っている。

ちなみ監督の内藤瑛亮さんはインタビューで
「いやダメでしょお前」っていう人が出てくる映画が好き
と言っていたのが印象的。「ミスミソウ」も普通に見ていると「いやダメでしょお前」な奴らばっかりで、主人公も意外にそんなやつで、でもその「ダメ」の中にしっかり理由があるからこそ、完全な「ダメ」にならないというか、「理由ある「ダメ」」になっていて、そこがまた良いんですねぇきっと(何言ってるか自分でも分からない)

というわけで「ミスミソウ」とても面白かったです。
正直宣伝ビジュアルとか作品最初のトーンからはかなり離れたぶっ飛んだ映画だけど、それでいてしっかりまとまりがある感じ。というか見事な演出力で謎の説得力がある感じ。
三池崇史監督とかタランティーノ、エドガー・ライト好きな人は好きなんではないだろうか

ちなみにかなり意外なキャラが変な感じでヒールターンして、ストーリーとしてどうなの?(原作通りの展開?だと思うので仕方ないのかな)と思わなくもないけど、それはこの映画の飛んだ部分を許容できる人ならもはや笑えるくらいなので全然楽しく観られると思う。

今年もたくさん観て、いつかは「境界」が揺らぐ話を描いてみたいですね。

あとこの記事のタイトル画像的に「全部雪のせいだ」(JRの広告)みたいに見えますが全然そんな映画では無いのでそこだけはご注意を!!

では!!

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