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言葉にならないは言葉にできてないだけ

つい先日、有名な映画監督の講演会に行っておりました。

特段テーマに興味をそそられたわけでないのですが、PTAの無料イベントですし、なにか学ぶことはあるだろうと足を運んだわけです。

講演者は高知県に移住されている方で、監督作品も高く評価されている文化人。

しかし、文化人を気取った高飛車な態度だとか、上から目線のいけ好かない人だとか、著名な方は往々にしてそんな人がが多い印象。

この方も、テレビ映りと実際のギャップはどうなのか最前列で観察しようと、一番乗り真正面に陣取って待機しておりました。

まず、定刻に来ません。

ライブにしてもそうですし、ラジオ聴いててもわかるのですが、有名人は時間を守りません。

「はいはい、でたでた、どれぐらい遅れるか見ものですな」

なんて考えていると、なんとわずか3分遅れで登場。

時間に厳しい私でさえも3分遅れぐらいなら許容範囲。

パジャマのような気取らない服装や、柔らかい表情から滲み出てるお人柄の良さ。

それまでに抱いていた「敵対心や嫉妬心」は吹き飛び、一気に高感度が高まります。

そもそも、「移住」と言うなの売名行為なんて思ってましたし、「都会で生きづらくなったから田舎でチヤホヤされにポジション取りに来てるんでしょ」なんて考えていたから、卑屈な性格の自分に嫌気が差します。

話が始まると、淀みのなさと空気の作り方に圧倒されます。

「えーと」「あーと」「うーんと」「えーー」とかが一切ないのです。

カンペなし、スライドなし、の完全アドリブで90分1人で喋り抜きましたからね。

私も講義することありますが、受講されている方との会話しながら流れ作りますし、独演会的に話できる人はとても尊敬できます。

会話の引き出し、場の空気を瞬時に察する能力、時計を確認している素振りがないのに完璧な時間間隔で終わりを迎える。

ビューティフル。

質疑応答コーナーも、その場のノリ的に行うわけでなく、事前に募集していたので、スムーズな試合運びを展開。

しかし、冷静に振り返ると、内容の抽象度が高く、「行間読んでね」的な映画を作ってる監督らしい話だったなと。

「高知のどこが好きですか?」との質問に、「言葉じゃ言い表せないです。ピーンと来ました」とのことですが、そのあたり言語化してもらいたかったところ。

東京が嫌で田舎に来るのはわかるのですが、田舎は高知だけじゃないですからね。

言葉にならないは、言葉にしようとする努力を放棄した言い訳の言葉。

料理やワインでも「なぜ美味しく感じるのか」

映画や本でも「なぜ面白く感じるのか」

その人がなぜ好きで嫌いなのか。

普段からそんなことばかり考えてしまうので、なんかもやっとしたって話でした。







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