もうひとつのルビコン川     序章 紀元前50年冬

「暖かいものだ」
厳冬のガリアを後にした自分たちにとっては、イタリア半島の寒さの微塵にも寒いと思わなかった。

体は寒くなかったが、心中にはどこかとはなくうすら寒さを感じていた。

軍団の主の心の動きが配下にも伝わるようであった。

ユリウス・カエサルの心の中は揺れていた。
後世に英雄の1人に数えられる男にも悩みというものがあった。
そしてこの男の悩みは人生最大の悩みでもあった。

後の世に言われた
「行けばこの世の地獄退けば自らの破滅」
と言う趣旨の言葉を発したのはこの時であった。

配下の者達は誰もがカエサルを見守っていた。
そして幕僚たちは沈黙を保っていた。

幕僚のうち1人の名前を呼ばれた。
彼は足早ににカエサルの元へ馳せ参じた。

「ブルータス、すべてを任せる」

幕僚は静かにうなずいた。
幕僚の名前は、デキウス・ブルータス。
この時35歳。青年から壮年にかけての一番
脂乗ってる時期である。

カエサルはこの腹心にあることへの全てを委ねたのである。つまり「全権委任」と言うことである。

遡ることほんの数時間だった。
カエサルはある人物との長年にわたる付き合いを断った。
そしてその人物は自分と相対する陣営に行くと言うことも知った。

ユリウス・カエサル、この時50歳。
人生の晩年に差し掛かる年齢である。
そしてこの年になって人生最大の試練が訪れる。
そしてそれは人生を大きく左右する、
いやこのローマという国家を大きく左右するほどにまでなっていた。

カエサルと決別した人物名はラビエヌス。
御歳50歳、カエサルと同年齢である。
そして彼の人生はカエサルと共にあったといっても過言ではなかった。

ガリアではカエサルの名代として総督代理の役割を担っていた。
彼こそが「カエサルの代理人」と呼ばれても
相応しいだけの実績と人望があった。

そのラビエヌスが、カエサル陣営から去ると言うのだ。幕僚が沈黙し、兵士たちが固唾を飲んで見守る…その理由は彼の動向であった。

デキウス・ブルータスは、沈黙を保っていた。
カエサルの心境は思うばかりのもある。
カエサル軍の実質ナンバーツーが陣営を去るのである…軍事的な意味合い〜戦力低下〜もそうではあるが、精神的なダメージの方が遥かに大きいと思われた。

これが後の戦いにも大きな影響を出すことになるのは今誰も気づいてはいない。

兵士たちが騒ぎ始めた。
低下した士気を鼓舞しようと一部の隊長たちが、自らを鼓舞しようとして騒ぎ始めたのだ。
それを横目で見ながら、デキウス・ブルータスは依頼事項を遂行するために静かに物思いにふけっていた。

デキウス・ブルータスがカエサルから依頼された内容と言うのはラビエヌスの説得と彼の家族や財産に対する配慮の実行であった。


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