原三石巌

平成時代は慈恩将人として執筆活動をおこなう。 代表作「地球維新十七条最高法規」(ヒカル…

原三石巌

平成時代は慈恩将人として執筆活動をおこなう。 代表作「地球維新十七条最高法規」(ヒカルランド、「地球維新 黄金神起」(明窓出版) 令和になり、原三石巌としてリブート。都市伝説作家、フリーメーソン研究家に加え、極秘情報…発信します。

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  • もうひとつのルビコン川

    古代ローマ英雄譚 全10話を無料配信 稀代の英雄ユリウス・カエサル、その右腕となった同年齢の軍人ラビエヌス。彼はガリア統治の代理人になる程の行政能力にも長けた人物。 その彼がカエサル軍を去る…説得のためにカエサルは若き英才デキウス・ブルータスを送る。 紀元前50年から始まるカエサル対ポンペイウスの戦いを通して、義理と人情の板挟みに苦悩するひとりの男の生き様を描く歴史短編。

最近の記事

もうひとつのルビコン川    終焉 紀元前43年ガリア

荒涼のガリアにて、デキウス・ブルータスは真っ白になっていた。ここ一年の動きは彼にとって最も修羅場であった。幾千の戦場を経験した彼とてもこの時期は修羅場であり、残酷な状況であった。 紀元前44年3月15日、ガイウス・ユリウス・カエサルは暗殺された。 奇しくもライバルであったポンペイウスの名前を冠した劇場の前で..... その三日後にカエサルの遺言状が公開された。 歴史に詳しい御仁であれば、後継者がオクタヴィアヌス、のちにアウグスティヌスという尊称で呼ばれるまだ十代の青年で

    • もうひとつのルビコン川    紀元前45年3月 ムンダの戦い

      「最後の降伏勧告を....」 幕僚がユリウス・カエサルに提言した。 カエサルは無言のままだった。 「無駄なことかもしれない.....」 デキウス・ブルータスは心中でつぶやいた。 決戦をおこなうまでもなく、カエサル軍の勝利は決まったようなものである。 戦闘は形だけのものとなろう....しかし.....ラビエヌスの覚悟を知れば、最後の散り際をどのような形にするかだけが、彼なりの美学、ローマ人の生きざまをみせるかのみが焦点だと思われたからだ。 ラビエヌスの心境はよくわかるつもり

      • もうひとつのルビコン川    紀元前46年 ヒスパニア again

        「決着はついたようなものだ」 そんな軽口を軍団兵が叩くようにもなった。 紀元前47年の小アジア、エジプトの掃討戦で敵兵力をほぼ無力化したという自負もあろう。 ポンペイウス軍は二人の遺児とラビエヌス率いる軍勢のみである。 ポンペイウスがギリシャに撤退後、カエサル軍が直ちに攻め入ったのはマルセイユであった。 マルセイユの海軍勢力と補給線を叩く戦略である。 続いてエスパニア属州を陥落させた。この時点でポンペイウス勢力の西側の拠点はほぼ殲滅させている。 残るはポンペイウスの二人

        • もうひとつのルビコン川    紀元前47年 小アジア経由エジプト行き

          ここからが勝負か。 思いは同じだった。ユリウス・カエサルの軍勢はみな同じビジョンを見えていた。 ポンペイウスの金庫ともいえる小アジアの富を手に入れ、ローマの穀物庫ともいえるエジプトを奪い取る。戦いの形勢は一気に逆転する。 その一方でエジプトで粘られたら長期戦にもなる。 今はおとなしい小アジア、中東の国の動向にも気が抜けない。 内乱の勝利も重要ではあるが、ローマ帝国本体に危機が及んでは本末転倒である。 政治的にも軍事的にも微妙な匙加減が必要な時期に達していた。 行軍は

        もうひとつのルビコン川    終焉 紀元前43年ガリア

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        • もうひとつのルビコン川
          11本

        記事

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年 ファルサロスの戦い

          目の前にある光景…目を覆う惨状...それは完全なる敗北。 この紀元前48年の戦いはカエサル軍の一方的な勝利で終わった。 負けた側のポンペイウスの敗因はなんだったのだろうか。 単なる驕りであったのか。 真相は謎である。 戦力的に勝るポンペイウス側が負けた直接的な原因はカエサル側の戦術であろう。 しかし、その真因となると謎だとも云える。 ラビエヌスの心の中はわからない。後世の人間にはその心情を知る由もない。 ただ物語の読み手として想像するのみである。 ただ、ラビエヌス自

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年 ファルサロスの戦い

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年7月 デュラッキラム包囲戦

          「なに?カエサルが負けた?」 誰もが耳を疑った。 あのカエサル軍が、ローマ元老院軍敗れたと言うのだ。 ポンペイウスは疑った。 これは罠ではないかと。 副審のラビエヌスも同じ思いだった。 ただ彼のことであった。事態の真相を突き止めるために斥候を放っていた。 斥候の報告によればどうやらカエサル敗退は事実らしい。 このことの顛末は以下のようであった。 弱小とはいえローマ元老院軍はそこそこの軍勢でもあった。また防衛戦と言うこともあり、戦いには必要十分な兵力、武器を持ち、それに

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年7月 デュラッキラム包囲戦

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年 ローマ

          この年、ユリウス・カエサルがコンスルに就任した。 財力、兵力、食料、すべてにおいてポンペイウス側が勝っている状況には変わりはなかった。デキウスらのエスパニア属州討伐は順調ではあったが、現時点での総力の差は明白であった。 だが、カエサルには勝算はあった。こちらは首都を掌握している。 すべての道がローマに通じるようにすべての法令はローマから発するのだ。 法治国家ローマにおいて、法的根拠こそが大義名分であるのだ。 そのあたりの感覚がポンペイウスにはかけていたのだろうか? そ

          もうひとつのルビコン川    紀元前48年 ローマ

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イスパニア

          マルセイユ陥落! その知らせに軍団兵は歓喜のうずをつくった。 緒戦での勝利である。 それも敵の重要拠点を落としたのであるから歓喜の輪が広がるのは、疑う余地もない。 喜びの中でも浮かぬ顔の人物もいる。 カエサルの副将格となったアントニウスである。 彼からすれば、デキウス・ブルータスなぞは文官扱いである。 生粋の武人アントニウスからすれば、文弱な男が勝利したことが悔しいのである。 男の嫉妬は女よりも激しい。 その姿をみていたカエサルは心の中でつぶやいた。 「この男も狭量でな

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イスパニア

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イタリア南部

          晴れ渡る空、青い海、現代であれば観光名所と知られる壮大な景色の中にいる。 現代の観光客であれば、最高の時間を味わえるだろう景色であろう。 しかしながら、紀元前49年のローマ人には不穏な空気をも少し含んだ気持であったろう。 特に本編の主、ラビエヌスにとっては、薄暗い雲が立ち込めてきたような感がある。 アドリア海の眩しいばかりの青さの奥に深い黒みをみたようであった。 「老いては麒麟も駑馬に劣る」 そんな格言がある。壮年期を過ぎたポンペイウスの翳り(かげり)がこの男だけに

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イタリア南部

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年1月10日 ルビコン川

          歴史が動いた日である。 名言「賽は投げられた」はこの時の言葉である。 しかし、その現場はここではなかった。イタリア半島の東側、アドリア海に面した場所あるのが、有名なルビコン川である。古代とは位置関係が若干違うという説もある。 現在のルビコン川とされる場所はムッソリーニの時代、つまり20世紀に制定された場所である。 ここがローマの国境とされた場所である。 もう一方、西側の国境は、現在のアルノ川、フィレンツェの市内を流れる川の位置あたりと思われる。この辺りは定説はないのであるが

          もうひとつのルビコン川    紀元前49年1月10日 ルビコン川

          もうひとつのルビコン川     序章 紀元前50年冬

          「暖かいものだ」 厳冬のガリアを後にした自分たちにとっては、イタリア半島の寒さの微塵にも寒いと思わなかった。 体は寒くなかったが、心中にはどこかとはなくうすら寒さを感じていた。 軍団の主の心の動きが配下にも伝わるようであった。 ユリウス・カエサルの心の中は揺れていた。 後世に英雄の1人に数えられる男にも悩みというものがあった。 そしてこの男の悩みは人生最大の悩みでもあった。 後の世に言われた 「行けばこの世の地獄退けば自らの破滅」 と言う趣旨の言葉を発したのはこの時で

          もうひとつのルビコン川     序章 紀元前50年冬