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もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イスパニア

マルセイユ陥落!
その知らせに軍団兵は歓喜のうずをつくった。

緒戦での勝利である。
それも敵の重要拠点を落としたのであるから歓喜の輪が広がるのは、疑う余地もない。

喜びの中でも浮かぬ顔の人物もいる。
カエサルの副将格となったアントニウスである。
彼からすれば、デキウス・ブルータスなぞは文官扱いである。
生粋の武人アントニウスからすれば、文弱な男が勝利したことが悔しいのである。
男の嫉妬は女よりも激しい。

その姿をみていたカエサルは心の中でつぶやいた。
「この男も狭量でなければな.......」
カエサルも齢50歳、ポンペイウスよりも若いが盟友でもあるラビエヌスと同じ歳であり、この時代ではもう老齢である。
彼の心の中にはいつも未来図があった。
誰がこのローマを.....帝国として運営維持していくのか。

この内乱はローマの未来を作る戦いであることは承知していた。
この内乱で未来への礎は作る。それが自分であるのかポンペイウスであるのかが問題なのだ。そして、それは元老院主体とした民主政治なのか強力な個人をトップとした民主政治なのかの政治体制問題でもあった。

そういう背景の中でラビエヌスはカエサル陣営を去った。

自分と同い年であり、ともに戦った男の離脱.....それはカエサルに実戦力の低下以上のダメージを与えた。
「想いは同じはずだった.....」
ラビエヌスの考え方も行動も自分と同類だと思っていた。
それはラビエヌスも同じだった。

ではなぜ、ラビエヌスはカエサルの元を去ったのか.....

それはローマ帝国における「義理と人情」の板ばさみであった。

ラビエヌスの一門は代々、ポンペイウスからの庇護を受けていた。パトロヌス(庇護者)とクリエンテス(支持者)の関係である。
パトロヌスはクリエンテスに政治・経済的な支援をする。もう一方でクリエンテスはパトロヌスに
選挙活動の支援などをする相互補助の関係である。
なんの縁かラビエヌスはユリウス・カエサル率いるローマ軍団の一員となり、カエサルの右腕として栄達していった。
ローマ軍の武将としてのラビエヌスしか知らない人々は、彼がカエサルの元を離れるなど想像できなかったであろう。
ラビエヌスの実績はそのまま、ユリウス・カエサルの実績であるからだ。

しかしながら歴史の濁流はラビエヌスの歩みを足元から揺さぶり始めた。
カエサルのライバル…当初は協力者だった…ポンペイウスへの《義理》である。
先祖代々の恩を取るのか、当代の恩を取るのかな葛藤…ラビエヌスの心は揺れた。
しかも当代の恩は歴史に名を残す英雄へのものだ。自分の歩みが歴史を変えている自覚はラビエヌス自身にもあった。自分の歩みは正しかった、そんな自己肯定感に満たされた日々だった。

しかしそれで良いのだろうかという疑念も心の隅に残っていた。自身も含めた一門の義理に反する行為は正当性があるのか?不義理を抱えた英雄譚に意味はあるのか?
自分は主役ではない…稀代の英雄の脇役である。
そんな自分に不義理をしてまで進む意味はあるのか。
ラビエヌスの心の翳り(かげり)は晴れる事はなかった。

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