見出し画像

【月曜:創作の話⑨】創作の「設定」についてちょっと思っていること。

こんにちは、アスカです。

暑いです。
夕方も気温が下がりきらなくなってきました。
夕立が降って涼しくなる、なんて時代ではなくなりましたね…。

さて月曜は創作についての話と言うことで、
創作の「設定」について思っていることについて暑苦しく語ります。
あまり楽しいお話ではないかと思いますのでご注意ください。。

<「その世界に●●はおかしい」という話>

特に異世界ものを書く場合のことなのですが、
「その世界に●●はおかしい」という主旨の批判? ご意見? を見ることがあります。
(私が言われたということではありません)

いつだったか大いに納得したのが、
(詳細については知らないのですが、とりあえずドラゴンが出てくる)
中世ヨーロッパの世界観の作品に対し、作中の環境設定に対してご意見があった際、
「そもそも中世ヨーロッパにドラゴンはいない」と反論がなされていた件。

そう、あくまで「その時代をイメージした世界観」であって、
「その時代そのものを描いている」のではない。

(記録に準拠したとて、果たして記録自体が真実なのかも疑わしいですし…)

現実はこうなのにおかしいと言われても、
その世界ではそうなんだよ、
と言いたくなることはあったりします。
もちろん、無節操にそれだけを振りかざすと品性を疑われますが…。

<世界観うんぬんの前に思うこと>

そもそも、
異世界に人類と同じ生き物が生息してること自体おかしいと思うのです。

さらに、当たり前に太陽と月があり、昼と夜があり、一日があり一年があり…というのは責められないのか? と。

人類って、いまのところ太陽系ですら地球にしかいないし、
地球上の大部分の生物が生息可能な空気内の成分比率は地球特有のものだろうし、
月が一つなのは地球の衛星が一つだからだし、
一日という概念は地球の自転の時間から生まれたのだろうし、
さらに一年という概念は地球の公転周期からだろうし、

…と、挙げだしたらキリがないですが、
そもそも異世界の環境設定って当たり前のように地球の環境を想定してない? と思ってしまいます。

そこはスルーするのに、細かいところにはチェックが入るのってどういう理屈なのかよくわかりません。
”フィクション”と言いますが、前提となる枠組み自体がいわば(仮)な世界なのに、どうしてその中身にだけ現実味を求めるのだろうかと…。
はちゃめちゃでもいいんだ何したってそれは自由! なんて幼稚なことを言いたいわけではなく、
気にするところそこなの? って思ってしまう。。

例えばマヨネーズとかサンドイッチとか、
固有名詞が普通名詞になったような名前は無理としても、
もっと設定に関して判断基準って緩やかでもいいのでは?
と最近思います。

私は異世界ものを書く時、極力配慮はしますが「その世界の言葉を日本語に翻訳して書いてる」スタンスでいるので、
重箱の隅を突っついて整合性を求める感じが不思議です。
異世界だから何でもありとは言いませんが、
そんなに厳しく見るところなの? と思ってしまう。

私の意識が低いと言われればそれまでですが。

でも、そんな私でもちょっと扱い難しくて避けてるのは、
動物の普通名詞、それから「一週間」という表現です。
暦ってダイレクトにその世界の宗教と文化が出てしまいますよね。
なのでよく「十日」くらいでごまかします(笑)
そもそも、”10”で一区切りとする考え方だって地球の人類独特のものかもしれない。
(指が両手で十本だからかもしれないですよね)

この通り、考え出したら何も書けないと思うのです。

その世界に二本脚で歩いて服着て言葉を使う動物がいることやら、朝日が昇り月が満ちかけする理由についていちいち説明してることってあるのかな。
ガチガチのハイファンタジーなら、神話からすべて決まっているかと思いますが…。

これが、最近創作していてよくわからないなぁと思うことです。

繰り返しになりますが、意識の低いアマチュアのたわごとに過ぎません。
この程度のこと、どこかで明確に回答がなされているのかもしれないし、
そもそも理屈として破綻していることを言っているのかもしれません。

頭が悪いので、破綻について考えず走り切ってしまいました。
週初めから意識低い素人のたわごとになってしまい申し訳ありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

3か月連続投稿チャレンジ中です↓

2023年7月3日
アスカ
#asuka_65
#毎週月曜は創作の話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?