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コントラストが違うだけ


なんでも愛おしい世界
無条件の愛は
ほんとになんでも良い

でも、私たちという存在は
1つのところに一瞬もとどまらず
流れて揺れている

何もかもが、愛おしい
そんな居場所があって、
自分も確かにそこにいる

でも同時進行で、
その
「愛しくて、たまらないよ」
という、
いのちも今
わざわざ体験している。
肉体を持った人間として
地球そのものとして、生まれた

そのこと自体が愛でしかない

たまらん体験すぎる
存在そのものが
とてつもない無条件の愛

子どもの頃
こんな風に思っていた。

子供時代から成人するまで、
人間の苦しみ、怒り、恨み、
貧困、格差、痛みをとことん
見て体験する機会が多かった。

自分もその環境の中で
当事者として
苦しかったり、切なかった
被害者とか加害者とか
全てごちゃ混ぜの世界、
カオスだから
誰が悪いとか、誰のせいとか
そういうものでもない事も感じてた

当時は
神様的なもの、この世界に自体に
怒りを感じ
「一体何がしたいんだよ、ポンコツめ」
と思っていた。

ハッキリと感じてたいたのは
どんな過酷な状況でも
見た目、苦しみ、恨み悲しみ
社会的評価が低かろうと
見た目もボロボロで惨めでも
痛い感情のてんこ盛りの蟻地獄でも

そこには必ず絶対的な愛がある
たまらないエネルギーが確かにある

何億倍ものエネルギーと輝きがあって
力強さとともに放ってる

良し悪し、優劣じゃなて
単純に
コントラストの強さとして
体験するものがそれぞれ違うだけ
空が暗いほど星がはっきり見える
みたいに
星は昼でも、都会でも
存在するけど
ぱっと見見えないだけで、
どんな環境でだって感じられる人が
いるだろう

私は今回わざわざ
人生の前半に
コントラスト強めの経験をして
人間世界で一般的にあげられる
「愛」のイメージを超えた
何億倍ものエネルギーの愛が
そこにある
でっかい愛はそこら中に
ゴロゴロ転がっている
っていう体験をしたかったんだな

世の中というのは
全く逆に見えている、と思って
行き場がなく怒ってた

全く無視されたり、軽視されたり
逆の評価だったりするところに
真実がある事が多い

小さい頃から
心の奥に感じていた
けど、

何をさせたいんだよ、
何がしたいんだよ???
って神様みたいな
存在に怒って
物申したかった
どうしようもなかった

むかつきを消化できないまま
大人になり、
怒りはどんどん屈折して、
原型を留めなくなり 

「もう、この、おかしなゲームで
生きてかなきゃいけないんだな」
ってになり

「すぐ死ぬの自体も腹たつ!
生き残ってやろう」となり、
自分の感性を閉ざし
大人になったらある時、
自分の破壊が起こった。

そりゃそうだ

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