屋久島で土地買ってエコビレッジ運営・YouTube企画コンサル会社の社長秘書・女性起業家になった3人が共同生活していた時の話をしようと思う
あれから2年の月日が経った。今まで未公開だった(別に隠していたわけではない)日暮里シェアハウスでの生活を公開するときがやってきたのではないかと思う。
前々からちょい出ししていたけど、私は2年前に家がなくなった。その家が無くなる前に暮らしていたのがこの日暮里シェアハウスなのだ。
当時の後輩2人と一緒に3人で住み始めたわけなんだけど、もう波乱万丈事件勃発毎日がジェットコースターとはまさにこのことだったと思う。ちょっぴりファンシーで毎日がスパイシーな共同生活を経験をしたので、ぜひあなたにもコレを読みながら一緒にこのスパイシーな生活を味わってもらえると嬉しい。
いーはーの愉快な仲間たちとプロローグ
さて、まずは一緒に住んでいた後輩2人の当時のプロフィールを紹介しようと思う。
名前:Aちゃん
出身:関西
年齢:22歳(当時)
職業:大学生→退学してロイヤルニート(ヒント:金持ち)
特徴:有名な関西のお寺の娘
長所:霊能力者・植物と会話できる
短所:エネルギーのない土地にいると気力を失う・人の生活ができない
名前:Tちゃん
出身:関東
年齢:22歳(当時)
職業:超★ガールズバー店員(ヒント:大手内定先辞退)
特徴:入店2ヶ月でNo.1に昇りつめた夜の渋谷の覇者
長所:倹約家で管理上手
短所:無意識に強い言葉で人の心を切り刻む
2人の基本情報を頭に入れてもらった次は話の前提を共有しておかなければならない。このシェアハウスのメンバーは当時所属していた経営コミュニティ内のメンバーであり、和旅合同会社の前身であった旧和旅プロジェクトを立ち上げる私と、そのコアメンバーだった2人でシェアハウスをしながら仕事をしようと試みだった。
シェアハウスの話がはじまったのが2018年の2~3月頃で入居は4月下旬。
当時、3月末まで私とTちゃんは学生で(いーはーは2年大学を休学していた)Tちゃんは新卒、Aちゃんは1年休学していたのでまだもう1年大学生(の予定)といった状態でのはじまりだった。
ロシア大使館で決まった3人のシェアハウス生活
Aちゃんと私が住むことは確定していたんだけど、途中まで住む予定にしていたTちゃんが突然住むのを辞めると言い始めたのだ。いやいや、もう家の契約も大詰めで3人で住むことを見越した家賃の家だったから突然そんなこと言われても、、、、と思ったのだが、Tちゃんにも色々と思うことがあったらしい。理由を聞いて一応理解はしていたんだけど、どうせ一緒にプロジェクトを進めるのであれば一緒に住んでた方が進むに決まっている。
Aちゃんと相談した結果、とりあえず3ヶ月だけでも一緒に住まないかと打診してみることにした。
もう契約もすぐそこまで迫っていたため、既にギリギリの状態だった。私は既に部屋の解約通知を受理されていたため後戻りはできない。正直、返事を待つ余裕は2日としてなく、3人で会うことが決まっていたロシア大使館でのイベントの日に打診してイベント後に返事をもらうという差し迫ったシンキングタイムでTちゃんに打診をすることとなった。
いやまて、ロシア大使館でこんな新卒2人と大学生で何をしていたのかって話なんだけど、当時所属していたキモノプロジェクト(※)で作成したロシア着物のお披露目パーティーがあり、それの運営・出席を私たちは一部任されていた。
※キモノプロジェクトとは世界196ヶ国(今は増えて207ヶ国)の着物を作成し、オリンピックでお披露目するといった国家お墨付きのプロジェクト。ギリシャキモノの広報担当として活動していた。
大使館でのイベントは素晴らしいもので、しかもロシアの大使館は高級感があって会場もかなり大きかった。Tちゃんは育ちが良かったので、こういったラグジュアリーで特別感のある空間は好きだったらしい。
私とAちゃんの必死のトークが刺さったのか、ロシア大使館が刺さったのかはわからないけど、
「3ヶ月だけなら住んでもいいかな」
と回答をもらうことができた。本当にTちゃんがいい回答をくれてマジでよかった。2人であの家の家賃払うのキツイし、家を契約しないとなれば私の家はなくなるところだった。毎度ほんとうにギリギリなんだけど、こうして私たち3人の生活はロシア大使館ではじまることが正式に決定したのだ。
AM8時,PM10時,AM1時に寝る3人の1日
2018年4月22日に日暮里の家に入居した。
新築3年2LDKで各部屋6畳以上ある割りと大きなお家だった。
最初は家具も全くなかったから、ダンボール箱を裏返し目の前にあった、スーパーで買ってきたチューハイとローストビーフをつまみながら乾杯した。
これから始まる3人での共同生活に私は胸を膨らませていた。
夜も更けてきたころ、大きなリビング、1部屋、2部屋と3箇所くらい寢れそうな場所があったんだけど、誰かの特定の部屋をつくらず、全て共用の部屋として使うことにしていたため、1部屋でみんなで寝ようと提案した。するとAちゃんが
「ウチは月を見ながら寝ますね」
といってリビングの窓際で緑色の低反発マットをひいて寝はじめた。初日だし、そんなもんかと思い私とTちゃんは1部屋で寝た。
まーこれは今思えば立派なフラグだったんだよな。このときは全然気づかなかったけど。Aちゃんのライフスタイルをもう少し理解しておくべきだった。ここから、徐々に私たちのライフスタイルに差が開いていった。
題目にもあるとおり、私たち3人はライフスタイルがバラバラだった。
Tちゃんはこの時夜職だったため(管理栄養士の資格を取得して卒業し、フリーランスとして働く予定だったものの免許発行されるのが夏だと気づき半年の生活のつなぎでやっていた)PM20時に出勤してAM7時に帰宅する。週3~4日ほどせっせと働いて、気づいたら入店2ヶ月でお店のNo.1にまで昇りつめていた。まあ、何が言いたいかというと、それくらいガチで夜働いていたということだ。
Aちゃんは大学の退学を決意し、無事(?)ロイヤルニートとして和旅の活動と同時に自分の人生を模索していた。この子はお金には本当に恵まれており、全く金銭には困らない生活だった。新卒の初任給をだいぶ上回る金額が毎月口座に自動的に振り込まれる生活をしていた。そのお陰もあり、自分のやりたいこと、そして生活のこだわりに時間もお金もふんだんに使っていた。AM5時に起きてPM10時に寝る、それが彼女流の生活スタイルだった。
じゃあ、いーはーはどんな生活だったのかというと、当時所属していた経営コミュニティで仕事をもらいつつ生計を立てていた。このときは学生向けのキャリア支援やイベント開催が主だった。まあ、多分私の生活が最もよくいる社会人と同じようなライフスタイルだった。AM9時に起きてAM1時に寝る。そんな感じだった。
こんな3人が一緒に生活すると何が起こるかって、起床・家事・就寝時間が合わない、当たり前だ。
時間軸で書くとこんな感じ
▼和旅ハウスの愉快な1日
AM5時 Aちゃん起床
AM7時 Tちゃん帰宅
AM8時 Tちゃん就寝
AM9時 いーはー起床
PM1時 Tちゃん起床
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
PM20時 Tちゃん出勤
PM22時 Aちゃん就寝
AM1時 いーはー就寝
Aちゃんは基本的に朝9時か10時くらいになったら外出するため、日中は家にいるときは私とTちゃん2人で過ごすことが多かった。
夜になるとTちゃんは出勤してしまうので、Aちゃんと私の2人でよく過ごしていた。
ちなみに、AちゃんとTちゃんが顔を合わせるのは朝のみだ。
Aちゃん「おはよう、おかえり!」
Tちゃん「ただいま、おやすみ!」
ほんと、こんな感じ。仲は良かったもののただでさえ性格や基質がまるで正反対の2人は生活リズムも正反対で徐々に、おはようおやすみ、略しておはすみのコミュニケーションのみになっていった。
一緒に住んだら今まで以上に仲が深まるものだと思っていたけど、生活リズムが違うとこうなるなんて想定外だった。一緒に住んだ意味!マジでなんじゃそりゃ。
激辛偏食vs倹約家vs一般人の食生活
きっとここまでの話で察しはついているであろうが、もちろんご飯の時間もバラバラだった。でも、唯一の救いは、私以外の2人は料理が得意だったのだ。Tちゃんは管理栄養士だし、Aちゃんは料理人修行をしていた時期があった。
ゆえに、自炊力の低い私は
「美味しいご飯が食べ放題だぜ、うわ〜〜〜〜い!」
と浮かれながら2人のつくるご飯にちょっとした期待を寄せていたのだが、この自炊力さえも私たち3人には仇となってしまったのだ。。。
自炊をするということは、もちろん買い出しをする。買い出しをするために3人の共通のお財布をつくった。1人5000円ずつ出し15000円をお財布に入れてスーパーで買い物をしていた。
Aちゃんと2人だったとある日のこと。
(いーはー)「(レトルトの)チャプチェあるから、今日わたし作るよ!」
(Aちゃん)「ありがとうございます!」
〜〜〜〜(レッツクッキング)〜〜〜〜
(いーはー)「できた!食べよう!」
Aちゃんは一口食べた後、、、、、
(Aちゃん)「ウチ、もう大丈夫です!」
(いーはー)「え、まじで!?そしたら私全部食べるね」
〜〜〜〜(その後Aちゃんと2人で外で用事があった)〜〜〜〜
「ぐううぅぅう」 Aちゃんのお腹が鳴る
(いーはー)「え、お腹すいてるの?」
(Aちゃん)「ウチ、(レトルトなどの)人工的な食べ物食べれなくて、、」
その後発覚したのは実はAちゃんはビーガン体質(完全に植物由来のものしか食べない人)で豚肉や鶏肉、牛肉などの普通のお肉からはじまり、レトルト食品系もまったく食べれなかった。
だがしかし、今月はもう遅い。共通のお財布から既に買い出しをある程度済ませてしまっていた。Aちゃんの食べられるものを考慮して購入されていないので、野菜以外まともに彼女の食べれるものがなかったのだ。。。。。。(マジで先に言ってくれ)
まあでも大丈夫。うちにはもう1人管理栄養士という名の最強のシェフがいるから、Tちゃんの料理があれば大丈夫だ。それにAちゃんが食べれるものなら私たちTちゃんと2人はなんでも食べられるはず。私が手抜き料理を作るのやめればいいんだ!そう、それだ!!!
次の日、Aちゃんがカレーを作ってくれた。ビーガンカレー的なやつ。これなら私たち2人は何でも食べれるし問題ないぞ!Aちゃんまじでありがとう〜〜〜〜〜!!!!!と思いながら一口食べた私の感想
「めちゃめちゃ辛い、、、!!!」
そう、このカレーびっくりするほど辛すぎるわけだ。マジで激辛カレーで、スパイスを大量保持しているAちゃんがオリジナルで最初からつくってくれたカレーだったから、マジで辛い。え、私だけなのかな、、、!?と思っていたら
(Tちゃん)「カレー、辛くて食べれない、、、、」
だ、だよね!?これは辛いよね?!!?!めちゃめちゃ辛いもんね?!
そう、Aちゃんはなんと激辛好きのビーガン家という偏った食の好みだったのだ。マジでもうめちゃめちゃオワタ。
もうこの時点でTちゃんの自炊力にすべてがかかっていた。家事は分担していたから、もうこれはTちゃんが買い出しをして料理をするしか。。。。
と思ったものの、よくよく考えてみるとTちゃんの生活リズムは昼夜逆転していて昼過ぎに起きて夜出勤する。つまり、Tちゃんが料理できるのはお昼ご飯のみなんだけど、お昼の時間帯はAちゃんは家にいない。
つまりAちゃんと私の夜ご飯を私かAちゃんが解決するしかないということ。(不幸中の幸いにも、私とTちゃんの食の好みはミラクルマッチして居酒屋で頼むメニューから家で食べたくなる料理まで一緒だった。つまり、私とTちゃんのお昼ご飯は問題なかった)
何食べてたかあんまり覚えてないんだけど、このときばかりは私も自炊を頑張っていた気がする。Aちゃんと美味しいご飯が食べたかったので、今までみたいな手抜きご飯をつくるのは辞めた。そして買い出しを工夫することにした。
まーでも、ここで丸く収まらないのがこの日暮里ハウスであり当時の私たちだった。
ある日、私が買い出しに行ったスーパーで、お魚コーナーに試食を売る人的な感じでお得で美味しいたらこを売りにきていた人がいた。私はたらこ大好き星人なので、試食してみたら、マジでうまかった。
「ちょい高いけど3人で食べれるしお得よね!買っちゃえ★キラン」
くらいのテンションで購入して、家に帰ったらその日はTちゃんが休みだったので家にいた。買ってきたものをみせると
「え、ちょっと、マジで。何買ってるんですか!!!!!(怒)」
倹約家で買い物上手のTちゃんにマジで怒られた。限りある食費を意味わからんものに使うなと怒られた。でも、私だって必死にたらこの良さをプレゼンする
「これで1週間は朝ごはんに困らないんだよ!ご飯炊くだけで超美味しく朝ごはん食べられるんだって!」
ちなみに、このたらこは3日でなくなった。言うまでもない、美味しいから食べ過ぎた。ただそれだけ。ごめんね、Tちゃん。
まあ、もちろんその後も私の購入した食材はTちゃんに怒られ続けた。しゃーないやん、この家で一般人の生活リズム送ってるの私だけなんだから。文句言うんでない。
と思いながらその後も私はせっせと買い出しを続けたのでした。
第1部-完-
ちょっとまだまだ事件はあって、まだ折り返しにもきてないので続きはまた後日書きます。
次回
・森をつくりたい女と栄養士フリーランスになりたいかもしれない女と起業したい女
・140人が乗った船内地獄絵図の横浜クルーズ船事件
・引っ越しにあたり片付け、大事な腕時計が消えた
・2年経った3人の現状
続き更新しました、こちらからどうぞ!!
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