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「あの日のガザ」(立花隆)

 有事の際は、アメリカのCNNと英国のBBCと決めている。日本のメディアだけを見ていたのでは、情報のスピード・量・質が不十分で、重要な判断を誤りかねないからだ。


 「メルトダウン」

 東日本大震災の時、画面の半分くらいの大きな黄色い文字で、菅直人首相の福島第一原発訪問を報じたのはCNNだった。これを見た人たちが慌ただしく国外に逃れていった。


 今回のハマスとイスラエルの有事でも、情報の早さや豊富さだけでなく、各分野の第一人者が丁寧に説明してくれる質の高さもあって、ここのところCNN・BBCから目が話せない。家人にはすこぶる不興をかっているが。


 ところが、今日、文藝春秋電子版で「あの日のガザ」(立花隆)<文藝春秋2014年9月号> が配信され、あらためて日本のメディアのレベルの高さ、特に立花隆さんの偉大さに触れ、型にはまって表面的なのは自分のほうだと気づいた。

 もう四十年以上前になるが、私はあのガザに、三、四日ほど滞在したことがある。一九七二年、第三次中東戦争の五年後で、ガザがイスラエルの占領下にあったときだ。きっかけはイスラエル政府招待のジャーナリスト視察旅行だった。一週間ほどかけて、連日のレクチャーを受け、イスラエル全土をかけ足で視察してまわった。終了後、この国はもう少し見てまわるべきだと思って、それから一カ月以上私費で滞在を延ばした。まずイスラエル社会の基盤を成している独特の社会主義的共同体キブツに関心があったので、そこに数週間入りこんだ。エルサレムにも二、三週間いてその歴史的宗教的ポイントを徹底的に見てまわった。キリスト教に興味があったので、聖書に関連がある史蹟を片端から見てまわった。そのような私的取材旅行で最後におもむいたのが、ガザだった。イスラエルで何かというと新聞ダネになるようなゲリラがらみの事件が起るのがいつもガザだったからだ。

「あの日のガザ」(立花隆) 文藝春秋2014年9月号


好奇心から来るのであろう行動力、そして判断もさすが立花流。


イスラエル建国前後の時代からの歴史解説が多い中で、博覧強記の氏ならではの秀逸さ。

 ガザといえば最も有名なエピソードの一つは、そこが「サムソンとデリラ」の舞台だったことだ。
(中略)
 サムソンとデリラの物語はあくまで旧約聖書の物語であって、ユダヤ教キリスト教の神話である。サムソンはイスラエルの青年リーダーで、生まれたときからヤハウェの神に一生これこれをしないと誓願(サムソンの場合は髪の毛を切らない)を立てることで、神からの特別の恩寵(無双の怪力)を与えられた人間。デリラは、イスラエル人と対立関係にあったペリシテ人の有力者の娘。サムソンの怪力の秘密を色仕掛けで聞きだし、サムソンの髪を切り取り、その力を奪った。ペリシテ人とは、紀元前十二、三世紀にパレスチナ地方に住んでいた先住民族。パレスチナの語源はペリシテからきている。イスラエルの民はモーセにひきいられて、エジプトから紅海を渡ってシナイ半島に入り、荒野を長年にわたってさまよったあげく、ヨルダン川を渡ってカナンの地に入った。そこで出会ったのが先住民族のペリシテ人(パレスチナ人)。

 現代も続くパレスチナの土地争いは、実はこのときから続いているのだ。

 その頃ペリシテ人が支配していた五つの都市の一つとしてガザの名前が、ちゃんと旧約聖書に出てくる。旧約聖書にはペリシテ人とイスラエル人との間の壮絶な争いの話が繰り返し出てくる。それは同時に、イスラエルの民が信奉する絶対真実の神ヤハウェと、ペリシテ人が信奉する邪教の神との間の争いでもあった。それは多くの場合、バール神とされているが、サムソンの時代ペリシテ人が信奉していたのはダゴンという半魚人の神だった。セシル・B・デミルの映画に出てくる巨大神殿の神がこの神である。

(同上)

そして記事はこう締め括られている。

 ガザで起きている戦争も、この時代の争いと構造においてあまり変りがないともいえる。どちらの陣営も、自分たちの主張が絶対的に正しいと信じ、相手方が主張することはみんな邪であり、そのような主張をする者は殺してもやむをえないと思いこんでいる。

 サムソンはペリシテ人から見たら、、、、、、、、、、無茶苦茶の狂信的テロリスト(神殿破壊で三千人死亡とある)である。それを神に導かれた正義の報復者と見る立場は、イスラエルのガザ侵攻を正義と見る立場と通底している。

(同上)

 9年の歳月を感じさせない本質を見抜く力がここにある。問題の根は深いが、悲惨な状況が一刻でも早く平穏になって欲しいと願う。

 知の巨人、立花隆さんの記事を、あらめて紹介してくれた文藝春秋の編集部に感謝である。

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