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アリス・ミラー「魂の殺人:親は子どもに何をしたか」

闇教育。その言葉を初めて知ったのは2021年に入ってからのことだった。感染症の拡大が起こって私生活でもナーバスになっていたし、政権に対する不信感がこのうえなく募っていた。嘘をついても侮蔑的な言動をとっても責任を問われない。言葉の価値は崩壊させられ、どう考えてもおかしいことが平然とまかり通っているように見えた。しかし、これは政治家自身の性質だけでなく、それを監視するメディア、投票権を持っている一般市民にも問題があると言わざるを得ない。じゃあそれってどこから改善できるの?と考えたときに、ターニングポイントは学校教育にあると俺は思った。
いまや基準はすべて生産性に向かっている。就職するための大学教育、大学に合格するための高校教育。学校教育に順応した人間が教員となり、再生産され続けていく義務教育。それはあらかじめ用意された結論に向かっていかに失敗を減らしていくかという逆算的な教育だろう。だとしたらそこでは古い価値観を刷新するような発想や、権力に対する批評的な視点、そして、失敗してもやりなおせるのだという安心感は十分に育まれないのではないか。
そういった危惧は今に始まったことでないが、今に始まったことではないのにその実態は日に日に劣化しているようさえ感じる。まして、感染症対策によってこれまでの日常生活が変更を余儀なくされ、これまでの価値観を見つめ直さざるを得ない数年間であったにもかかわらずだ。
“考える力を失くすための教育”が日本にはびこっているのではないか。だとすればそれは教育に否定形がついた形、「De-Education」という言葉になるだろう。この言葉で指し示したいのは、誤用されている意味での”反知性主義”的な姿勢である。市民が真実を知る必要はないという抑圧である。もしかしたらこれと似たような概念はすでに議論されているのかもれない。そう思ってインターネットで検索をかけたとき、偶然出会ったのが冒頭の言葉である。

闇教育。Die schwarze Padagogik。提唱したのはスイス生まれの精神分析家、アリス・ミラー。闇教育については、ドイツ語で書かれた1980年の著書『Am Anfang war Erziehun(For Your Own Good)』で詳しく語られている。その本は1983年に日本でも出版されベストセラーとなっているようだった。日本語訳版のタイトルは『魂の殺人:親は子どもに何をしたか』。親は子どもに何をしたか。神経症患者の精神分析を重ねていくうちに、その症状には親からの教育が大きく影響していることをアリス・ミラーは発見した。それを「闇教育」と名付けて、以下のように説明している。
 

「闇教育」の概念

1.大人は自分が面倒を見てやってる子どもの支配者である。
2.大人は何が正しく何が不正であるかを神のごとく決める。
3.大人の怒りは本来大人自身の内の葛藤から生まれるものである。
4.しかも大人はその怒りを子どものせいにする。
5.両親は常に庇われ保護されねばならない
6.子供に生き生きとした感情が息づいていては支配者には都合が悪い
7.できるかぎり早く子供の意志を奪ってしまう事が必要である
8.すべてはとにかく幼い時期に行われなければならない。そうすれば子供は何一つ気づかず大人を裏切ることもできないから。

俺が想定したDe-Educationがあくまで学校教育の段階であるのに対して、アリス・ミラーが提唱した闇教育はそれ以前、乳幼児期における家庭での教育に焦点を当てている。その理由は、「とにかく幼い時期に行わなければならない」という、闇教育の狡猾さ、用意周到さを踏まえてのことだろう。学校教育に入ってからでは遅い。闇教育はそう考えるのだ。
『魂の殺人』で例に挙げられている教育書のほとんどは1700~1900年頃のもので、その内容は現代からふり返るとひどく滑稽に見えるかもしれない。子どもの感情を抑圧し、主体性を奪う教育。そんなの間違っていると誰でも思うだろう。しかし、闇の深さはその連鎖の過程で隠蔽され続けている。子どもの主体性を育むまえに、親自身の主体性が回復されなければならないはずだ。闇教育は「自分自身が受けた傷をなかったことにするための教育」ともいえるだろう。自分自身がまず子どもであったことを忘れ、自分の親もまた誰かの子どもであったことを忘れるために、闇教育は継承されていくのである。

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