承認欲求

承認欲求を満たそうとしてるのが不快、みたいな主張をたまに見かけるんですけど、承認欲求を満たすのってイケないことなんですかね。

以前触れてるんですけど、極論、生きることに意味なんてないので、特に何もせずに生理的欲求だけ満たして生命活動の維持をしていればいい、という主張も分からなくはないです。しかし、ある程度発達した脳みそを持って生まれた以上、人の一生というものには思考というものが付き物です。そして、その思考に伴って、感情の起伏が起こります。感情によって人は、死のうとも、生きようとも、思います。例えば幸福を失ったとき、えも言われぬ絶望感を味わったとき、人は死のうと考えるでしょう。ならば、例えば幸福を手にしようと欲することは、すなわち生きようと欲することになり、それは生命活動を維持しようとする欲求、生理的欲求と同等のものだと言えるのではないのでしょうか。ならば、承認欲求を満たして幸福感を味わおうとすることは、十分に真っ当な行動だと言えるのではないでしょうか。

承認欲求には大きく2種類あると思います。「他人に自分を認めてもらう承認欲求」と「自分で自分を認めてあげる承認欲求」の2種類です。これらのうち、前者ばかりを追求して、他人に承認を半ば迫るような形で承認欲求を満たそうとすることは、確かに不快に見えるかもしれませんが。「自分で自分を認めてあげる承認欲求」を満たすことも大切だと思います。自分の理想のハードルを、あげすぎないと良いですかね

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