糖尿病の母

父の浮気

母が糖尿病と診断されたのは30歳の時。

その前後に父の浮気が発覚し、
相当なストレスが引き金だったそう。

私の記憶にうっすら残っているのは、
小学生低学年の時。
知らない女の人と父、母、祖母が我が家に集まり、
いつのまにか出て行った。
そしてその日以来、父の姿を見かけなくなった。

入退院を繰り返す母

私が小学生の頃から
母は糖尿病で入退院ばかり。
お盆の時に御供物でよく出てくる、落雁(らくがん)。
フルーツの絵が描いてある、砂糖の塊。

あれは食べるものなのかな。
いまだにナゾだけど、母はよく食べていた。

視野狭窄

目が見えにくく、視野が狭くなってきたという。
糖尿病性網膜症という合併症かと思いきや、
脳の視床下部というところに腫瘍が。
幸い、良性とのこと。

手術終了

嗅神経を触ってしまったみたいで、
オペのあとから匂いが分からなくなった。

「くさいのがわからんでいいばいー」
と笑っている丸坊主の母。
明るい性格でよかったよ。

糖尿病性昏睡

長女が結婚し、
ひとつ上の姉と私が、母と暮らすようになった。

低血糖になると
だいたい呂律が回らなくなり、意味不明なことを言い出す。
会話が成立しない。

それに真っ先に気付くのはひとつ上の姉。
手際よく砂糖水を作って飲ませ、血糖を測る。
10分くらいでだんだんと意識が戻ってくる。

まだ看護師でもなければ糖尿病の勉強もしていない高校生の姉。
ひどい時には救急車に一緒に乗ったり。

そんな姉も看護学校のため上京。
続いて私も上京。

糖尿病性腎症

母の一人暮らし生活15〜16年。
その間も何度も救急車で運ばれ入院。

合併症の腎臓病も、だんだんと悪化。
尿が作れず、体の毒素は溜まる一方。

そしてついに透析導入。

自宅での一人暮らしはもう限界かもね、と
透析の送り迎えもしてくれる施設を長女が探してきてくれた。
日にちを合わせ、家族で見学に行ってみた。

「ごめんね〜せっかく帰ってきちょうのに」
背中を丸めて横になり、具合が悪そうに吐いている。
「いややね〜死んだほうがマシやね〜」

背中をさすることしかできず。

そしてまた私は都内へ戻り、
その数日後に透析が始まった。

危篤

仕事中、
「高橋さん、ご家族からお電話です」
イヤな予感。
そういうのって本当にあるんだな。

長女だった。
「おかあさん、意識なくなったって。
先生の話、聞ききらんき。マキちゃん代わりに聞いて」

「おかあさん、透析を回し始めて今回で2回目なんですが、血栓が頭に飛んだみたいです。意識がないんで気管にくだを入れて呼吸器を付けとります。このまま意識が戻るかどうかは分からんですが、厳しい状況です。今夜がヤマかと思いますんで、ご家族にお集まりいただけますか?」

そんな内容だった。

教科書通りの合併症。

働いていても、
透析回して2回目なんて、滅多に見たことない。
早すぎるよ。

とにかく大急ぎで上司に報告。帰省した。

本当に今回はムリかも

点滴、モニター、呼吸器、シリンジポンプ、
フル装備。

眼球が斜め上を向いていて、視点が合わない。
手足を触ってもピクリともしない。
声をかけてもなにをしても。

自分の親の看護をしなくて
他人の看護やってる場合じゃないな。


職場と相談し、
毎月1ヶ月の半分を帰省看護することにしてもらえた。

こっちの病院に呼べば?
と看護部長が提案してくれたり、
病棟スタッフも快く受け入れてくれたり、
とても恵まれた環境だった。

面会の大変さ

お母さんのお世話するぞー!と
意気込んで帰省したものの、
会いに行っても全く反応なし。

洗面器を借りて、手を洗ったり足を洗ったり。
毎日やってるから綺麗すぎて、逆にカサカサ。
クリーム塗ったり話しかけたり。
それでもまだ、30分しか経ってない。
反応してよー。

あー痰が絡んでる。
呼吸器の回路に水が溜まりすぎてる。
経管栄養終わってる。
髪の毛だらけでシーツ汚いー。
脚むくみすぎて滲出液出てるー。

言いたい!けどうるさい患者になっちゃうかしら…
看護師さん来たときに言うか…
でも全然こないー!
自分でやりたいー!

1週間ほどして、気づいた。
病院の面会も疲れるのね、と。
自分がやりたい看護ができない。
職場じゃないから勝手にできない(あたりまえか…)。

入院患者さんを見てて、
面会来てくれないねーさみしいねぇ、
なんて軽く言ってしまってたことを反省。

家庭にはいろんな事情があって、
時間を作るのも難しいのかもしれない。

そして
看護師さんもいろいろ。
笑顔も声かけもなく呼吸器だけチェックして行ってしまったり。
逆に聞いてなくても夜とか昼間の状態を教えてくれたり。

こうやって患者、家族の立場にもさせてくれてるんだろうなぁと、母の顔を見つつ考える日々。

都内に戻る前日

なんだかモヤモヤ。わからないけどモヤモヤ。

さすがに毎日は疲れるので、
最後の日はお茶でもしようか、と長女とランチ。

たわいもない話をして、
「そういえばマキちゃん、昔よもぎの葉っぱ摘んで草団子作ってくれたよね〜」
と、ひろーーーい田んぼのよもぎを見ながら歩いた。
4月で日差しも気持ちいい。

「そろそろ病院行こうか」
と、長女が言ったその時、携帯の着信音。
2人で目を見合わせる。

「おかあさん、状態悪くなったのですぐいらしてください」

…そんな気したんだよなー。

心停止

「肺炎を起こして、そこから急激に悪化して脈が早くなっちょったんですけど、さっき急に心臓が止まりました。それで今、心臓マッサージを始めたとこです」

待機室で待つこと1時間。

「非常に残念ですが、お亡くなりになりました」

母にしがみつき大泣きする長女。
私は心電図を見た時に覚悟が決まっていたからか、
気が張っているのか、涙は出つつも冷静になっていた。

ひとつ上の姉は、逆に都内に出張中。
「あんたがおるき、東京行くね。なんかあったらすぐ連絡してね」
と言ってたけど、いちばん母っ子だったから心配。

「おかあさん、死んじゃったよ…」
「は?うそやろ」

電話先で大泣き。
ほんとは姉がこっちにいたほうがよかった。
姉は母が大好きだったから。母も次女を頼りにしてた。
私が立ち会うより、姉が立ち会いたかっただろうにごめんね。


旅立ちの日

まだ実感が湧かないままだった。

「御姉妹で、お願いできますか?」

私たち3人がこのボタン押すの?
押したらもう、触れなくなるんだよね。
もう、顔も見れなくなるんだよね。

と、一気に悲しみが押し寄せてきた。
でも押さないわけにはいかない。

生きてきた中で、いちばん辛かったな。

母の気遣い

もう帰ってくるのも大変だからって、帰る前の日を選んでくれたんだろうな。

復帰した職場で最初の夜勤中。
白いフワッとした影が廊下を横切った。
全く怖くもなかったから、母だったんだろうな(と思いたい)。
姉たちはセットしてない目覚ましがなったり、裏口が閉まったり。
きっと最期の挨拶(と思いたい)。

そして人生で初めて買った、年末の宝くじ。
15万当たった。
飛行機代まで!ありがとう〜!


病と食と

糖尿病は死ぬまでコントロールが必要。
コントロールがうまくいかないと、
母のように合併症がつきまとう。

糖尿病に限らず、どんな病気でも然り。
口から取り入れるもので身体はできていく。

でもやっぱり好きなものを食べたい!
ストイックになりすぎてそれがストレスになるなら、好きなものを食べていいんじゃないかと私は思っている。

身体がもう、これ以上この生活してるとダメだよ、ってなんらかのサインを出してくれるから。
それに気付かず、気付いても構わず同じ食生活を続けていくから病気になり、悪化していく。

たとえば。
膵臓、糖尿病によいといわれるあずきかぼちゃ、甘い野菜スープ。
この他にもマクロビオティックでは症状、病気に対して自然治癒力を高めるお手当食というものがある。

栄養学とはまた違う、食べ物のもつ生命力のこと、陰陽五行で万物を捉えるということ。

マクロビオティックの食に関する知識。母が生きている間に知りたかった。どう変化したかは分からないけれど、制限食、といった要素はないのでもしかしたら受け入れてくれたかもしれない。


























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