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【無駄話】私って、小さい?

私は時々、嫁はんに
「ちいせぇ男やなぁ〜」と言われることがあります。

罪な男だぜ!

何、言うとんねん!

たとえば、
「私はチャーシューメンを注文できない」という話。

人生60年間に、
チャーシューメンを頼んだことは、1回こっきり。

手に汗を握り、心臓をバクバクさせ、
めっちゃ勇気を振り絞って、
「チャ、チャ、チャーシューメンをください」
と言ったんです。

その時のどきどき感がトラウマになり、
それ以来食べたことがありません。

どうして、注文できないのかって?

チャーシューメンって、
すんごぉ〜〜〜〜〜〜〜く贅沢だと思いませんか。

ラーメンだってチャーシューは入っています。
とりあえずは食べられるんです。

なのに、150円とか200円とか、
上乗せするんですよ。

そんな贅沢って、ありますか。

そりゃあ、食べたいですよ。
麺が見えないほど、
ずら〜〜〜〜〜り並んだチャーシューには憧れます。

チャーシューの食べるタイミングで
悩むこともありません。
夢のようです。

ラーメンだと、いつ食べるべきか迷ってしまいます。

とりあえずはスープを飲んで、麺をすすって、
次にいきたいところだけど、
ここは我慢して、メンマを食べる。

また、麺をすすり、「ここか?」と悩みながらも、
まだまだ早いと自分に言い聞かせ、ナルトをパクッ。
また、スープ。

麺を噛み締め、
「さぁ、いよいよかな?」と箸を伸ばすが、
「待てよ、2枚しかないチャーシューを
 ここでいっては、後が淋しくならないか」と、
冷静になるものの、
「ここでいかなければ、他のお客さんから、
“セコい”と思われるかもしれないなぁ〜」と、
食べる理由をつけて、エイヤァー! と、
3分の1ほどを噛んでみます。

自分でもセコい食べ方だとは思うけど、
後のことを考えると仕方がない。

たとえ3分の1でも、幸せを感じる瞬間です。

こんな感じで、ラーメン1杯に疲労困ぱいしながら、
食べ進んでいくのは、なかなか楽しいけれど、
辛いものもあります。

そして、フィニッシュを迎える時に、
ほんの少し空しさを感じるんです。

チャーシューは最後にしたい。
でも、それはあまりにもセコい。
誰かに知られては、
人生に汚点を残すことになります。

だから、最後はスープにしなければならない。
無念!

だったら、その前がチャーシューになるのか?

いや、それではスープを飲んでいる時に、
チャーシューが透けて見えてしまう。

他のお客さんに気づかれるので、
麺は残しておかなければならない。

なので、スープの前は麺になります。

つうことで、その前がチャーシュー。

あぁ〜、最後から3番目。
これでは、食後の印象が薄くなる。

チャーシューメンを頼めば、
こんな面倒なことを考えなくてもいいんです。

いきなりチャーシューを食べる、
という暴挙に出ることもできます。

最後から3番目に食べても、
途中でたくさん食べているから、
印象は強く残っています。

幸せを感じながら、箸を置くことができるんです。

でも、ドンドンドン(机を叩く音)、頼めない。

貧乏人として生きていると、
贅沢を知るのが恐いんです。

150円、200円で、
他に何が買えるかを考えてしまうんです。

チャーシューは少ないからこそ、
有り難みがわかるんじゃないのか、
と、自分を正当化してしまいます。

そんな私を「ちいせぇ男やなぁ〜」と、
嫁はんは言うんです。

私って、小さい?

充分に小さいわよ!

カクンッ!

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