憂いの帰郷 ~下町のディストピア~


久々に地元は板橋の大山を歩く

妹の通っていた小学校は統合され、跡地に高齢者向け施設が立っている

ここは病院と養育院のまち

高齢者層に溢れる時代の最先端のまちだ

僕達が散々遊んだ養育院の広大な空き地はもう無くなり、駐車場になっているらしい

駐車場はお金を生むが、公園はお金を生まないのだ


まちの本屋もずいぶん減ったなあ

小学校をズル休みして、キタナイ本屋とキタナイ本屋をチャリ飛ばして回りまくった
100円以下のきたないバラ売りのマンガを集めて白チョークで補正したとみせかけ、全巻セットにして大手に売り付けにいき、利ザヤを稼ぐためだ

膨大な体力と時間と知恵を使ったあのお小遣い稼ぎももう出来ない
(今で言う背取りになるのか、)

あれは楽しかった
初めて自分で価値を生み出した事業だった


本屋も公園も減ったら文化的素養はどこで育くむのか
どこで思いっきり遊んで思いっきりケガをしたいいのか

そして僕らがカードゲームと駄菓子を買っていた場所がマッサージのお店になり
商店街には矢継ぎ早にキレイなチェーン店が堂々と立ち並ぶ

ヘルスケアのサービスを立ち上げ、賢く国から助成金をもらい、地域ネットワークを作ったもん勝ちとなっている現代だ。

残っているお店は
お客さんが入っているとこなんてほとんど見たこと無いのにずっと永らえている、ビル持ち土地持ちの収益があるお店である。

みんなの街の電気屋さんも、大手パチンコ屋、マルハンに
資本の暴力だ

(ピエロというクレープ屋は潰れない。店の隅々まで埋め尽くす膨大な手書きメニューが味を醸す

街場のスナック論というのが少し流行った。
コミュニケーションの場としての機能と、店主の高齢化による客のお節介、
要はコンテンツ受給ではなく、コンテンツ参画することが人を活かす、という話だ
確かに路地裏スナックは満員だ
味が大事なのだ、味)

ヨーロッパはマックやスタバやグーグルの参入に対して散々揉めた
健康面しかり、地域独自の色を無くしてしまうからだ

こうして街の個性が無くなっていくのだろう

僕らの税金は、今の高齢者層の心地よい場所に流れていく

20年後
今の団塊世代が減ったころ
この街はブレードランナーよろしく退廃としたまちと化すのだろうか

そんなことばかり考えてしまった憂いの帰郷となった




私が働いていた赤提灯の(元バイト先、部活の後に駆けつけては店頭でよく足を攣っていた)鏑屋のもつ煮込みはいつでも最高に上手いのだ!


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