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「哀れなるものたち」ヨルゴス・ランティモス

どんな映画か(ネタバレなし)

「ロブスター」「聖なる鹿殺し」などで知られる鬼才ヨルゴス・ランティモス監督の新作がついに公開です!
本作は、以前レビューにも書いたクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」と並んで、アカデミー賞作品賞の最有力候補となっていた作品です。

しかし、ランティモス監督の過去作品を知る方であればお分かりになる通り、この2つの作品は作品の系統が全然違います。
SFでも名作を残しているクリストファー・ノーラン監督ですが、今回の「オッペンハイマー」では時間軸的なギミックも少なく、比較的史実に沿って描かれています。

一方で、ランティモス監督の「哀れなるものたち」では、まず設定が「お腹に宿した幼児の脳を、母親の脳に移植したことで生まれた、体は大人/頭脳は子ども(リアルコナンくん!)な主人公が世界を旅する」というものです。
さすが、ランティモス監督、よくこんな設定を思いつきますよね!

とはいえ、そんな史実に基づいたリアルな映画と、とんでも設定のSF映画が意外な共通点があるんです。

映画の感想(ネタバレあり)

上でも記載をしましたが、簡単なあらすじを書いておきましょう。
とあるところに天才(だが奇人)の科学者がいました。(いわゆるマッドサイエンティスト)
彼は、父親から厳しく育てられ性格が捻じ曲がったようですが、科学者としての腕は超一流でした。
そんなある日、彼の家の前の川に美しい女性の死体が流れてきます
実は、この女性は橋から身を投げて自殺した女性でした。
その死体を思わず川から引っ張り上げると、なんと妊娠をしていました。
お腹の中の赤子はまだ生きているようでした。
そこで、その科学者は、とある実験に着手します。
それは、生きている赤子の脳を取り出し、死体となった母親の脳と入れ替えることで、母親を蘇生させるというものでした。(なんで!w)
無事に母親は生き返りますが、そこで生まれたのは、体は大人/頭脳は子どものとんでもない人間?生物?でした。
体は大人ですが頭脳は子どもなので、赤子ならではの奇行を繰り返します。
そして、その子どもの頭脳を持った女性が少しずつ自我を持ち始めたある日、父親代わりの科学者のもとを抜け出し、自分と世界を知るために好奇心に身を任せて世界を旅し始めるのです。

と、まあこんな感じです。
もう、ワクワクが止まらないですね。
ランティモス監督、バンザイ笑
女性の死体を拾って、赤ちゃんと脳を入れ替えようって・・
よくそんな設定を思いつきますよね。
しかも、もちろんそこは鬼才ランティモス監督。
他のランティモス作品でもそうですが、とんでも設定を掲げておきながら、観るものに説得力を持って訴えかけてくる。
この力が凄まじいんです。


これって、よく考えると(よく考えなくても)すごいことですよね。
誰もが経験したことのあるシチュエーションであれば、こういう時にこういうことが起こるということを想像しやすいし、説得力も増すと思います。
ただ、経験したことのないシチュエーション(例えば赤子の脳を移植した女性がどんな感情を抱いてどう行動するのかなど)は誰も分からないし、だからこそ人々の共通認識(あるある!みたいなもの)がないために説得力を持って訴えかけることは難しいと思うのです。
しかし、ランティモス監督がすごいのは、そんなとんでも設定のはずなのに、見ていると「ああ、確かに分かるな」「これはこうするよな」となぜか思ってしまうのです(人生で全く経験したことないはずなのに!)

その要因は何なのか、大きく2つの点で掘り下げてみます。
1つは、「人間の根幹にあるもの」を描いているからだと思われます。
今回であれば、赤子の脳を移植した女性というものは誰も経験したことがないものですが、赤子自体は皆が接したこともあり、共通認識もあるものです。
つまり、人がどのように生まれ、どのように感じ、どのように生きていくのかということは皆が経験してきているものです。
今回も、赤子の脳を移植した女性でありながら、その感情や行動の起点はとても素朴なものであり、我々が共感しうるものなのです。
このように、とんでもない設定だとしても、その中に現れる人間の行動や心理を深く掘り下げて描いていることがランティモス監督の説得力の理由だと思います。
これが、冒頭でも記載した「オッペンハイマー」との共通点です。
この点は、本作以外のランティモス作品にも言えることなのですが、それはまたその作品のレビューを書く際に記載します。

2点目は、映像と音楽の力です。
アカデミー賞の美術賞の受賞や作曲賞のノミネートをしていることからも分かる通り、本作は映像がとても美しく、また音楽も優れています
人はとんでもない話を、例えば拙い言葉で聞くと疑ってしまうものですが、想像を超える映像と迫力ある音楽で伝えられると、説得される、というかその世界に飲み込まれてしまうものです。
この、総合的な映像としての力がランティモス監督の説得力に繋がっていると思います。
とはいえ、全く見たことのない世界を1から構築するできるなんて、ランティモス監督の頭の中はどんな風になっているんでしょうね。
もちろん、ランティモス監督のファンが好きなブラックユーモアは今作も健在です笑

最後に、今回やはり凄まじかったのは、エマ・ストーンの怪演です。
本作はアカデミー賞の作品賞は逃したものの、エマ・ストーンは主演女優賞を受賞しました。
それも納得、前回エマ・ストーンがアカデミー主演女優賞を受賞した「ラ•ラ・ランド」での夢を叶えようと必死に生きる女性像とは打って変わって、今回は赤子の脳を宿した破天荒な女性です。
細かな描写の説明はあえて書きませんが、「ラ•ラ・ランド」でエマ・ストーンが好きになった人の中には、「こんなエマは見たくない!」と思った人がいてもおかしくないほど振り切った演技を見せています。
しかし、それでもなお「ラ•ラ・ランド」とは別の意味での人間の美しさを、その演技から感じることができます。
演じるキャラクターの振り幅と言い、美術賞を獲得したセットの中でもむしろ輝きを増す存在感と言い、とんでもない俳優さんですね。
次回のランティモス監督作品にもエマ・ストーンが出てほしいなと薄らと期待しつつ、ランティモス監督作品でなくても次のエマ・ストーンが演じる役が今から楽しみでたまらないです!


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