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闇を自覚する。 『イニシェリン島の精霊』

狭い世間で周りの人とどうにかこうにかうまくやりながら、自分の感情とも折り合いをつけて生活していくってとても難しいことだ。ひとりとひとりでもそうなんだから、大勢と大勢なら尚更。ひとつしかない限られた地球で、たくさんの国と国とが折り合いをつけて生きてゆくのもやっぱり相当困難なことだ。
というようなことがこの映画の大きな主題なんだろうけど、それとはべつに考えたこと。

ふたりの主人公のうちの片方、パードリックが怖い。
親友でパブ友のフィドル弾きコルムからある日突然絶交を言い渡されるパードリック。気のいい優しい男を自認している彼は絶交される理由がわからない。コルムは説明してくれない。やっとのことで理由を聞いても「お前がつまらないからだ。お前と付き合うのは人生の無駄だ」というコルムの言い分に納得できない。だって俺は優しい良い奴なんだから。きっとコルムが間違っているんだと考える。
間違っているコルムを元の楽しい親友同士に引き戻そうとしつこく付き纏ったあげく、コルムが最近仲良くなった音楽家を騙して島の外へ追い払う。コルムにとっては大切な音楽仲間だったのに。
そして追い払ったことを悪いとも思わない。だって俺は優しい良い奴なんだから。
これは怖い。コルムと仲良くしたいという自分の欲望のために悪いことと知りながらやるんならまだしも、大人が、悪気も何もなくこういうことができるのは怖い。
自分のなかに存在する悪意を自覚していない。

このあたりまで、映画のなかのパードリックはいつも八の字眉毛の困り顔をしている。いかにもコルムに理不尽なことをされて困る善良な俺、という顔。でも、その内側には何もない。自分が楽しく馬鹿話をしているときコルムがどんな気持ちだったか、コルムは何を好みどういう人生を送りたいと思っているのか、コルムや周りの人が自分をどう思っているのか、自分はほんとうに優しい良い奴なのか。親友(だと思っている)コルムのために自分は何をしてやれるのか。
たぶんパードリックはそういうことを考えたことがない。思いつきさえしない。自省しない。空っぽなのだ。
馬鹿だ間抜けだと侮っていたドミニクにコルムの音楽仲間を騙して追い払ったことを咎められ、コルムにはフィドル弾きにとって大切な指を自ら全部切り落としてまで拒絶され、自分がかわいがっていたロバが死んでやっと、パードリックは自分の闇を自覚する。
しかしそれはあくまでも、ロバを殺されたことに対するコルムへの復讐心という形での自覚だ。
それでも「優しい善良な俺」で中身は空っぽなパードリックよりは、復讐心の闇を自覚しているパードリックのほうが、コルムにとっては関わり甲斐のある人間であることを、映画のラストシーンは表しているように見えた。ラストシーンのパードリックはもう、八の字眉毛の記号的な困り顔ではなかった。


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