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勝手に届くものが知ろうとしなかったことを教えてくれる

 ありがたいことにバイト先の塾で国語の担当を1人だけではありますがさせてもらっています。

 ぶっつけ本番で解説はできないので事前に自分で読んで、分析してポイントを考えたりしています。

 大きく物語文と説明文の2つに分けられていますが、中には自分の知っている筆者の本から引用されていたり、興味深い内容のことが書いてあったりします。しかも、その年代が読むことを想定して問題に選ばれているわけで、その年代に読んでほしいような内容にもなっているのかなと感じます。

 大学生になった今、読んでいると大切なことが書いてあるなと認識することができます。それと同時に、自分が小中学生の頃はできなかったなあと思いました。

 あくまで問題として認識しているだけで読み物として読んでいませんでした。早く解いて開放されるためにやっていました。高校の頃からは少しづつ(いいか悪いかはさておき)読み物としてその文章を楽しめるようになりました。センター国語の『未知との遭遇』(佐々木敦 筑摩書房)の教えてあげる君についての話は印象深かったのを覚えています。

 今となっては、読み物としても楽しめていますが、当事者の小中学生はどうなんだろうと思いました。せっかくいい文章でも、内容として頭に入れなければ為にはならない?読み物として捉えると主観が余計に入り込んでしまうとか、実は多くの人は内容も読めているのかとかあるかもしれないけれど、、、。自分で選んでないけれど自分のもとに届いたものは雑にしないようにしたいなあと。そして、自分を広げたいなあと感じた次第です。

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