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200年前をあるく

"一度来てみな いわきの平へ 町は火の海 じゃんがらおどり"

これは、いわきの伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」の一節。
「じゃんがら」とは、福島県いわき市の郷土芸能で、鉦、太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家などを供養して回る念仏おどり。

平地区の町が火の海…?
大須賀筠軒おおすがいんけん『磐城誌料歳時民俗記』という文献には、

8月14〜16日、町家は燈籠とうろうに火を付ける。家の大きさに応じて、20〜60個ほど、大きな家では100個も吊るすところがあった。新盆の家が特に多く燈籠を吊した。
迎え火や送り火は、家や店の前に、松の木を井桁いげたに組んだ。14日の明け方と暮れ、15日、16日と合計4回焚いた。
平城の西側入り口である長橋町から順番に焚きはじめ、東側の鎌田町まで焚いた。
町全体の火が空に映り、見物人も多く出た。

という記述があります。
先の「町は火の海」の歌詞は、この平の町でのお盆の迎え火、送り火があまりにすごかったことを表しているそうです。
この文献のくだり、まだ先があります。

お盆の間、近くの村から、かねと太鼓を持った15人ほどの老若男女がやって来て、神社やお寺で念仏踊りをして回った。新盆の家の前でも踊った。家々を回り、夜遅くに村に帰っていく。
ただ、若い男子だけ(帰らずに)鉦と太鼓を鳴らしながら、十王堂10箇所を巡った。これを『十十王とじゅうおう申す』と言う。

大須賀筠軒『磐城誌料歳時民俗記』の抜粋


十十王申すとじゅうおうもうす

十王とは、
人が亡くなったあと、初七日 - 四十九日及び百か日、一周忌、三回忌のタイミングで、十王の裁きを受けることとなる。生前に十王を祀れば、死して後の罪を軽減してもらえるというもの。
有名なのは、5番目の閻魔さま。その十王を祀っているのが十王堂。


宝暦ほうりゃくに書かれたとされる文献記述なので、西暦1750-60年頃のこと、今から約260年ほど前のいわき市の平地区の話。
お盆に新盆の家々をじゃんがら念仏踊りでまわったあと、興奮冷めやらぬ若い男子だけで、十王堂を10箇所、深夜に鉦や太鼓を叩きながらまわった。夏の夜の若き血潮。
260年の時を越え、我々いごく編集部、今年の夏、鉦や太鼓は流石に叩けませんでしたが、実際にまわってみたんです。


5時間・22km・3万歩

8月12日夜10時。私たちは、いわき駅前の「 Guesthouse & Lounge Faro」をスタート地点として歩きはじめました。
コースの紹介は割愛しますが、260年前のパイセン達に思いを馳せながら、十王堂10箇所を巡りました。
スマートウォッチでの計測では、距離にして22km、歩数で3万歩。休憩を挟みつつ、ゴールの廿三夜堂に着いたのは、明け方の4時。
40-50代のおっさん二人で、何やってんだよwww

夜10時にスタート

真っ暗で音声だけな感じですが、歩きながらの5時間生配信はこちらで観れますw

全編はこちらのフェイスブックアカウントからご覧いただけます。
https://www.facebook.com/rururururu5


歴史も文化も風習も包み込む

高齢者福祉から始まったigokuは、プロジェクトを進めていくうちに、障がい、食、アート、歴史文化風習など、高齢者福祉の枠を超えたものに出会っていきました。そして、それらを面白がっていきました。脱線といえば、脱線かもしれません。ですが「暮らし」、それも一人ひとりの暮らしだけでなく、地域の暮らしと向き合ったときに、どうしても、そこに暮らす人たちの、暮らしていた人たちの食や、文化風習や、芸能や物語に触れずにはいられなかったのです。地域”包括”ケアという風呂敷には、そういったものも包み込んでみる。

260年前のパイセンたちと歩く。
これも包括ケアと言える地域ってステキでおもろくないですか?


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