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igoku本制作プロセス |第1話 エクエク・リョウちゃん

皆さん、こんにちは。
福島県いわき市の市職員イガリと申します。2019年に、「いわきの地域包括ケア igoku(いごく)」というプロジェクトで、ありがたいことに、グッドデザイン金賞を頂くことができました。

igokuがどんなプロジェクトかは、↓2020年4月に suumoさんに取材して頂いたレポートをお読みください。

調子に乗った私(たち)は、2020年にクラファンに挑戦し、igokuについての本を制作することとなりましたー。

ご支援いただいた皆さん、改めまして、ありがとうございましたー。

さあ、執筆だ、、、、

このigokuプロジェクトは、市職員の私を言い出しっぺに、フリーランスのライターやデザイナーなど6名のメンバーでお送りしてきましたので、6名がそれぞれの専門とする見地からigokuについて語るという構成で本を制作しようとしています。

gda2019_award_N1dEA5Qのコピー

大体、こんなメンバー。多様性のかけらもない、、、

とはいえ、ライター以外は、本なんて書いたことも作ったこともないので、「語り下ろし」として、まずはigokuについて語り、それを文字に起こして、執筆していこうということにしました。

で、私、言い出しっぺイガリは一番バッターとして語り、文字を起こしてもらったんですが、、、そこから執筆へとつながらない、重い腰が全く上がらない。本の完成目安は、2022年3月だというのに、、、
もういい加減やらないとな、年末までに片付けるぞと一念発起し、キンミヤの炭酸割りを飲みながら、ふと思ったのです。

その執筆過程を、noteに上げてしまえと。

どうせ、私のnoteなんて誰も読んでいないし、
私の執筆も、igokuチームが誇る名ライターの大幅な加筆修正が入る予定なので、noteに残しておけば、完成した本と読み比べて、どれほど変わったのかもおもろいかなと。

っちゅうことで、今回から何回かに分けて、igokuプロジェクトを立ち上げるに至った経緯や、さらに遡って、私が公務員としてどんな経過を辿り、igokuに行き着いたのかなどについて、書き起こしをもとにお送りしていきたいと思います。

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第1話 igoku前史①
イガリ公園緑地課時代 ーエクエクりょうちゃんー

igokuが様々な領域の、いろんな人たちに面白いと思ってもらえたポイントの一つに、「これを役所がやったの、、?!」というのがあると思います。
なので、私イガリのパートは、一人の地方公務員がどのようなキャリアを歩み、igokuへ至ったのかについて書いていきたいと思います。その過程や行間から、

・公務員って、、、
・これからの公務員って、どうあるべき?
・プロジェクトや企画の通し方
・チームの組み方、動かし方
・プロジェクトの拡げ方

あたりのヒントのようなものがにじみ出たり、感じてもらえたらいいっすね。

簡単なプロフィールは、こちら

プロフィール画像.001

それでは改めまして、
①僕の公務員のキャリアとigokuの話
②igokuの裏ではこういうことを役所的には考えていましたよ
という様なことをお話していきます。

僕は2000年に大学を卒業してからブラジル留学を経験して、2002年にいわき市役所に入所したのですが、改めてこれまでのキャリアについて振り返ると個々の部署時代のこれがあったからこそigokuにつながったんだなという気づきが多くありました。役所は基本的に1個の部署を3年経験して次の部署に異動するのですが、僕は3年未満での異動を何度も経験しているんです。水道局営業課・市街地整備課・公園緑地課と市役所に入って4年で3つの部署を経験するという、いわき市役所史上に残るキャリアを歩んでいます(笑)。ここではigokuを立ち上げた地域包括ケア推進課に配属されるまでのキャリアについてお話していきます。

市役所に入って最初に配属された部署は水道局営業課。僕の主な業務は水道料金を集めて、料金を払っていない人の水道を止めることでした。役所に入って1カ月で、とんでみないミスをしてしまいました。アパートで本来水道を止めるはずだった部屋の隣に住んでいる人の水道を止めてしまったんです。ちゃんと料金を払っていたのに僕のミスで水道を止められてしまったから、もう怒り心頭。その時は土下座してなんとか許してもらいました。

エクセルでパンフを作る?!

次に配属された市街地整備課は、隣の課のおばちゃんに気に入られ、1年でそのおばちゃんがいる公園緑地課に異動になりました。公園緑地課は公園を管理・維持する部署で、ここでは、今まで作られていなかった「いわき市保存樹木・樹林」のパンフレットを作りました。いわき市には保存樹木が100本あって、一本一本に歴史やら謂われやら物語やら、単にデカくてすごいとか色々あるんですが、そのことが全く誰にも伝わっていないのがもったいないなという思いから、少しでも知ってもらいたくてパンフを作り始めたんです。この時の「この素晴らしさを誰かに伝えたい!」という思いは、今思えば後のigokuにつながる萌芽だったのかもしれません。

igoku本note用保存樹木_アートボード 1

これがそのパンフ。
全部見たいという物好きは、コチラを。

パンフレット作成は、保存樹木100本を厳選した樹木の専門家の古内先生という方に協力していただいて、その100本を撮影しに行くということから始まりました。古内先生にはすごくかわいがってもらって、「こんなに樹木を面白がってくれる公務員はお前が初めてだ」なんて仰ってくださいました。

igokuへのつながりというところで今振り返ると、樹木について調べている中で、植生域の北限がいわきという樹木が多く、いわきの「潮目感」も意識するきっかけになったというのがあります。他にもシイの実は戦後貧しい時に食料として利用されていたとか、ちゃんと樹木や草花について調べていくと、人の営み、暮らしとか歴史文化を考えるきっかけになってくる。そういう素地があったから、igokuが単なる高齢者福祉メディア以上の広がりを持てたというのがあるのかもですね。

現在もいわき市の公式HPでこのパンフレットは閲覧することができるのですが、このパンフレットはすべてExcelで作られていてw、コミュニケーションから、リサーチ、写真を撮影して、文章書いて、デザインをやってということを一通り、クソ素人ながら経験したからこそ、テキストや写真、デザインそれぞれの専門のみんなのすごさがわかりますね。これはこれで味があるんですが(笑)。パンフレットに載ってるイロハカエデなんかは、元々僕が撮影した写真があったんですが、地元の人に「イガリ君には悪いけど俺の写真の方が良い赤が出てる」と言って差し替えられたんです。制作中はそういうことが何回もあって。一方的な制作じゃない、「悪いけど、、、」というコミュニケーションを生む、脇のゆるさが、今思えば、すごくigoku的だなと思います。

-100本の保存樹木の写真を撮りに行くということは、勢いだけでやれることではないですよね。時間をかけるだけの何かがそこにはあったと思うんですが、、、-

元々の保存樹木に指定する資料を探してみると、その資料が昭和53年のもので、「それ以降、誰も触ってこなかったの!?」という驚きがあったんです。何十年もこの樹木は存在しているのに、自分が興味を持つまで誰も触れてこなかったのか。でも俺は出会ってしまった。ここで自分がやらなければ誰がやるんだという気持ちで始めました。

僕が保存樹木・樹林のパンフレットを作ったことによって「いわきにこんな謂われのある樹木があるのか」ということが、福島県に伝わって、改めてその価値を認められたという樹木も何本かありました。県という広い視点では見過ごされてしまう、目に止まらないというのは確かにあって、だからこそ一方、いわき市の職員という、よりローカルだからこその面白がり方、着目の仕方というのが大事というか価値がある。なので市の職員や町村の職員、よりローカル、より辺境にいる人こそオリジナルな感度が高くなきゃいけないと思います。エッジ(辺境)にいる奴が一番エッジ効いているべき。それはこれから、ますますそうなっていくと思います。中央から離れれれば離れるほど、面白いんだと思って、僕はやっていこう、生きていこうと思いまっせ。

-行政は粛々とやるだけでなく、面白がりながらやることで巻き込まれる人の数が絶対に変わってくるんですよ。その点、樹木のパンフレットには猪狩さんの楽しんでる感じが表れていますよね。縦の写真と横の写真が混在していて、「縦の写真は縦に長く見せたかったんだな」とか「横の写真は葉っぱの広がりを見せたかったんだな」とか、原初的なクリエイティビティに触れるような感動がありました。この樹をできるだけいい形で写真に残したいという思いがあのパンフレットの中に見えるんですよ。樹木の専門家に巻き込まれた市の職員の情念みたいなものが映り込んでる。自分が現場とかで止むに止まれぬ思いに突き動かされて作ったものには価値があって、どれだけ表現が未熟でもその人の気持ちや感動は嘘をつかないものなので。今見たら拙い部分もありますけどあれを作った猪狩さんは信頼できますよね。igoku制作の際も、猪狩さんは最初の打ち合わせの段階から、泣きそうなぐらい笑っていて、一番楽しんでいた。それに巻き込まれていったんです。-
-パンフレット制作を始めたお話の、直近の資料が昭和53年だったというお話に関してなんですけど。いわきは様々な文化的な資料が昭和50年代ぐらいで止まっていることが多いんですよね。その後なんで途絶えてしまったんだろうというのを自分もずっと疑問に思っていて。世の中の流れとリンクしてのことなんでしょうけど。だから猪狩さんみたいに、そこを埋めようとする人によって歴史は守られていきますよね。-

そこに関して言うと、古内さんのような途絶えた歴史を埋め、補おうとする情念を持つ先人と、それまで樹木に対して特に関心も持っていなかった自分みたいな奴が出会ってパンフレットを制作したように、たまたま出会ってしまった、誤配で結びつく瞬間の面白さみたいなものは、僕個人の経験から、igokuにもまさに受け継がれていると思います。

だから、たまに妄想的に、igokuというアクションがなかった時のことを考えると、僕個人として出会わなかった人たちが沢山いるというのは当たり前ですけど、それだけではなくて、igokuというメディアがなかったことで、拾われなかった、誰の目にも止まらなかった、時の流れの中に埋もれてしまった人や思いというのは沢山あったのではないかと思います。(何かを持っている)先人たちと、それをたまたま誤配で出会い、結果受け継いじゃった人たちみたいなことは、この世界にたくさんあるんだろうなあと思いますし、たまたま出会わずに、埋もれていってしまうことというのが、さらにもっと沢山あるんだろうとも思います。

老いや死を取り上げるigokuを通じて、「一期一会」感は、igoku以前とは比べものにもならないほど、強く意識するようになりましたが、この公園緑地課時代の経験をまとめますと、次の4点になります。

①樹木や植生という時間軸の長い(歴史、文化、営み的な)ものの一端をかじれたこと
②古内先生という、「人生のパイセンにかわいがられる」感が既に出てきたことw
③昭和50年代の資料文献を見て、”えっ、今まで誰もこれおもろいと思わなかったの?!” もったいなあ、俺がやらねば感
④拙くても、エクセルでも?!、なんとか伝えよう、発信しようの原初的な萌芽と、その経験からの専門職へのリスペクト

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というわけで、igoku本イガリパート第一弾は、こんな感じとなりました。今年も残すところ、あと10日ほどしかありませんが、残り10日で、イガリパートを書き終わりたいと思います。

ここまでお読み頂いた方が、もしいたとしたら、本当にどうもありがとうございましたー。何ヶ月後かに、igoku本が晴れて世に出ることになりましたら、読み比べてみると、おもろいかもしれません。あざますー。

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