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自衛隊『志願の理由』

同人誌2018年冬号に掲載した原稿です
著者は「異界洋香奈」名義です


『志願の理由』 異界洋香奈

僕が井苅氏と出会ったのはあるSNSのオフ会でのこと。
その後何度か顔を合わせる機会があったのだが、井苅氏が元自衛官で現在は予備自衛官であると聞いて何とも信じられなかった。
僕が思い浮かべる自衛官とは長身で筋肉質で豪快な体育会系の人物像である。しかし井苅氏は小柄で華奢で少々暗い印象を受ける。
身長は僕より十数センチは低いだろう。体重は僕の半分程度…とは言い過ぎだろうか。
昼間からアルコールが匂ってバッグには缶ビールやカップ酒を忍ばせている。
常に灰皿や喫煙所を探していて気が付けば煙草に火を点けている。
ぼそぼそと小声で聞き取りにくく、相手の目も顔も見ずどこを見ているのか、その瞳は虚ろでまるでひとり言のように話す。
凡そ兵士や軍人のイメージとかけ離れたこの男、それらしいのは短く刈り上げた頭髪、細い手首に巻かれたごついミリタリー時計、綺麗に磨き上げたブーツの三か所くらいだろう。
井苅氏は少年期を不登校や引きこもりで無為に過ごしていたに違いない、と僕は勝手に推測しているのだが、いったいなぜ自衛隊なんかに志願してしまったのか。
気になると訊かずにはいられないのが僕の性質である。
煙草の煙は苦手なのだがそれは我慢して、僕は井苅氏の隣の席に移動する。

「なんで志願したのって言われてもねえ…」
井苅氏が自衛隊に志願したのは大学一年の時だったらしい。
一年と言っても井苅氏は紆余曲折あってストレートで入学したわけではないので、その頃はもう二十代だったとのこと。
「本当は18歳で志願するつもりだった。でもね、その頃私は浪人と言うかフリーターと言うかニートと言うか…。母親が強く反対して大学を卒業してから考えろと言われてその時は諦めたんです」
大学を卒業する頃には年齢制限目前である。もう先延ばしにはしていられない。
志願の既成事実を作り親には事後承諾でいいやと井苅氏は行動を開始したらしい。
「街角に町内の掲示板が立ってるでしょう。そこに自衛官募集のポスターとか葉書とか貼ってあるの見たことは…?私はその葉書で志願したんですよ」
あんなもの本当に書いて送る人間がいるとは驚きである。僕は担当の係が何か仕事をした振りの為や印刷会社と癒着の為の税金の無駄使いだと思い込んでいたのだが、とりあえず一応の効果はあるらしい。
「数日して東京地連から電話が着てね、説明や志願票の記入などお願いしたいから自宅に伺いたいと…」
訪ねて来たのは三十前後のすらりとした長身で細身の三等陸曹。職種は普通科だったらしい。
「学歴職歴など細かく書かされてね、私はわりとブランクがあるから…その間は何をしていたかとか通っていた予備校も書かされたんです」
しかし井苅氏にはひとつ気がかりなことがあったらしい。
当時井苅氏は大学の部落解放研究サークルに出入りしていたとのこと。いったいなんでそんな所に…。
「十代の頃に三島由紀夫先生に感化されて…。当時はまだ言論界は左翼勢力の影響力が強くてねえ。冷戦が終わってソ連が崩壊してようやく言論の自由が回復期に入ったんですけど、しかしまだまだ私たちは闘わねばならなかった。だから私は…」
何を言っているのかよく解らないが、井苅氏は三島由紀夫の影響を受け愛国心に目覚めて憂国の志士となったらしい。
そして国体破壊を目論む反日勢力を殲滅するために、左翼的思想を持つ文科系サークルへ通い連日論戦に明け暮れたと言うのだ。

「解放サークルが『橋のない川』の上映会を行うと言うのでさっそく乗り込んだんだよね。天皇陛下万歳したら凄く気に入られてしまった」
それ以後被差別部落のフィールドワークに同行したりイベントの手伝いをしたり、井苅氏はかなりの頻度で出入していたらしい。
「やっぱりバイトもせず仕送りだけで生活するって厳しいんですよ。解放サークル行くと先生や先輩が酒や食事を奢ってくれる。それでクセになってしまった一面も…」
ただし狭山事件のデモ参加要請や大学当局への抗議活動への参加要請は断ったらしい。
「政治的活動への参加へはきちんと一線を引いとかないと…」
いや、タダメシ食って散々世話になってそれはダメだろう。それでも『ミシマ好きの学生』と言うことで面白がられかわいがられたと言う。
この部落解放研究サークルの件が地連に把握されないか、井苅氏はそれが心配で仕方が無かったとのことだが、自衛隊の調査能力が劣っていたのかその程度のことと不問にされたのかは不明だが、それは杞憂に終わったらしい。
「地連の三曹がとても熱心な人で何回もアパートに来てくれてね、面接の問答集とか過去問とかも持ってきてくれたんです」
当たり前だ。それが彼の仕事だ。きっと応募人員確保のノルマなんかも設けられてるのだろう。
「学科の過去問見るとわりと簡単でね、中学校レベルの内容なんですよ。でもね、私は数学が大の苦手でしかも何年振りかなんで、公式とかすっかり忘れてしまってる。もうね、試験日三日前から真剣に勉強しましたよ」
井苅氏は大学で自衛隊に入隊するだの国防は国民の務めだの吹聴していたらしいが、試験への取り組みが三日前とはあきれた国士様だ。
いったい本当に真剣に入隊しようと思っていたのか疑問に思えるレベルだ。
結果、学科試験は井苅氏いわく「悲劇的な成績」だったそうだ。もちろん点数を教えて貰えるわけではないのだが、試験中にこれは駄目だろうと井苅氏は自覚したらしい。
「おそらく担当三曹は頭を抱えたんじゃないかな。大学生だから楽勝だろうと思ってたら特に数学は壊滅的だったんだから」
それでよく自衛隊は井苅氏を合格にしたものである。その当時もうバブルは崩壊し経済は下り坂。じわじわと公務員の人気が上昇し、阪神大震災等災害派遣の活躍もあって自衛隊の社会的地位も見直され、任期制隊員でも倍率は4~5倍だったはずだ。
名前さえ書ければ入隊できたり試験中教官が正解を教えてくれたりしてくれた時代では無い。
「でも試験は学科だけではないからねえ…」
確かに他に作文や面接や適性検査、健康診断もありその総合評価である。学科の成績はその中のひとつに過ぎない。
「作文はなんか秋になると家の前の林の落ち葉を毎日掃除して、作業を粘り強く最後まで完遂できる…みたいなこと書いた気がする」
まあ無難な内容だろう。
しかし僕が気になるのは面接の方である。当然志望動機を訊かれたはずだ。いったい井苅氏は何と答えたのだろうか。
「志願の理由は三つある、と答えましたよ」
一つは国の為。
前述したように井苅氏は国民の務め云々と吹聴していたので、そう主張するからには自らもその務めを果たさねばならない。国防の務めが即ち兵士になることとの考えは短絡的思考だと思うし、軍隊を悪用する者たちを喜ばせるだけだと僕は思う。
どうも「お国の為」を主張する奴は胡散臭い。末端の兵士になる身で本気で言っているならばよほどの低能で迷惑な奴だが、大抵はこれは本音では無く本心は他にあるものだ。おそらく井苅氏もこれは建前に過ぎないのであろう。
二つは憧れ(自分の為)。
井苅氏の地元は自衛隊の駐屯地や演習場が点在し、軍用車輌や航空機、自衛官が日常の一部だった。
演習があれば火砲の音が遠雷のように聞こえていたらしい。また、幼少の頃からアクション映画が好きで、活躍する兵士に憧れを抱いていたと言う。
その夢をかなえる為、即ち自分の為に志願した…と、ここには井苅氏の本心が垣間見ることができると思う。
三つは金の為。
あまりにストレート過ぎるだろうと僕は思わず笑ってしまった。
「本当に面接で言ったんですか?」
「言いましたよ。肝心なところで嘘はついちゃいかんと思いましてね」
「親からの仕送りで学費も生活も賄えてるし、少しバイトでもすれば多少の余裕も出来たのでは?」
「いや、そうじゃないんです…」
親を頼らず自立するためにはまとまった金と社会的地位が必要だったと言う。面接でも自身の自立の為、自己の成長の為、それは自分で稼ぐ必要がありつまりは金の為と言ったそうだ。
井苅氏は在学中だったのでおそらく学費を賄うためとも自衛隊サイドからは判断されたのだろう。聞いていて思ったのだが、井苅氏の志願の動機説明は自衛官の服務の宣誓や、自衛官の心がまえと重なり合うところが多く見られる。

『服務の宣誓
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、身体をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。』

『自衛官の心がまえ
1 使命の自覚
2 個人の充実
3 責任の遂行
4 規律の厳守
5 団結の強化』

当時井苅氏はこの存在を知らなかったそうだが、わりとポイントはおさえているように思う。志願の動機としては印象は悪くないだろう。
「どうしても親の影響下から抜け出したかったことは大きかったですよ。いろいろあって人生遠回りしてしまいましたので」
何の資格も職歴も無く、人生経験も乏しい者が再起を計るには自衛隊は最適だった。
「自衛隊もね、やる気のある者はたとえ多少能力が劣っていても一応支援はしてくれるんですよ。それはありがたかったですね」
それで井苅氏は人生を好転させることができたのだろうか。
「まあ、自立って面では転機となりましたけどね…その点では自衛隊には感謝してますよ」
何かひっかかる物言いである。
とても気にかかる。
あまり自衛官らしからぬ容姿の人物のことだ、自衛隊での勤務はさぞかし…。
もう少し突っ込んで訊きたかったのだが、井苅氏は煙草に火を点けるとそれきり黙り込んでしまった。

(了)

(平成28/2016.12.10記)

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