ブロックチェーンはデータに時間軸を与えた発明
電子データは世界に残り続けるか
紙や粘土は世界に残り続けるか
絵を描くときに、僕はデジタルよりもアナログのほうが好きなのですが、なんでなのかなあということを考えてみました。
いくつか理由があると思いまして、
・絵を描くときの触感が楽しい
・ぼかしや混色での偶然性が楽しい
・デジタルデータではなく紙として残るのが嬉しい
・ソフトを立ち上げる必要がないので気楽にすぐに描ける
・作品が世界に残り続ける(感じがする)
などなど。
で、その中でも大きいのが、3つ目の「紙として残る」なのかなあという感覚があります。
紙に限らず、キャンバスでも石でもなんでもよいのですが、
ここでは「触れるもの(質量あるものに残る」ということが重要なのかなと。
あとで自分の描いた絵を見返したときに、その絵に触れたりできるのが嬉しいなと。
で、なんで嬉しいのかというと、質量があるものに絵を描く場合には、そこに「その時の時間」も刻まれるような感覚があるからなのかなあと。
その時に紙の上に乗った黒鉛は、その日その時の気温や自分の体調でしか乗らない乗り方をしていて、全く同じものを再現するのは不可能なんですね。
なので、絵を見返してみたときに、その絵を描いていた当時の自分や自分の感覚が鮮明に思い浮かばれる感覚があります。
これがデジタルだと、これがデータの強みでもあると思うのですが、いい意味でも悪い意味でも可逆的でコピー可能なので、唯一無二性みたいなものが低いと感じられます。
余談ですが、そういう意味ではデータの透明度を上げて不可逆性をもたらしたブロックチェーンはデジタルの自然物化を一歩進めた、と言えるのかもしれません
あー、そういう意味だと紙とか黒鉛としてのデジタルデータの経時変化という概念が見える化されるようになったら面白そうですね。
トランザクション履歴に紐づけて作品データにノイズを入れるとか。
まあここはどこまでを作品のもつ情報として捉えるかという好みの問題でもあるので、本当に主観的な話なのですが。
あとは、僕がアナログにそういった「刻まれた時」的な価値を感じやすいのは、思考の癖として「物体や事象の経時変化」を意識しやすい頭になってるからなのかな、とも思いました。
あとは、デジタルよりもアナログのほうが、
世界に自分の表現を刻みつける感覚であったり、
人類が滅んでも世界に残り続ける感覚がありますね。
デジタルもハードディスクやクラウドに刻んでいるという見方もできるのですが、人類にしか使えない電子機器を通してしか五感で感じられる媒体にならないという点で、アナログよりも工数がひとつ多いイメージです。
ねずみが僕の絵を見た時に、その意味はわからなくとも、なにかを認識する可能性はあるんじゃないと。
あとは、最悪燃えかすになったとしても、そこに黒鉛やら油やらセルロースの分子の偏りみたいなものが残ることは確かなので、それが回り回ってなにかに影響するみたいなロマンを想像することもできなくはないかなと。
まあ最強なのは、アナログで作品をつくりつつ、
デジタル化してクラウドに保存したり、
有名になって人類のミームの中に保存したりすることだと思います。
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