無目的にインプットしまくり、備えよ
どうすれば面白い作品をアウトプットできるのか?という問いについて考えてみます。
アウトプットするにはインプットしないといけない。当たり前なんですけど。
なんでインプットをするかというと、自分の中にあるものの中からしかアウトプットはされないから。
なにかしらの方法で自分の中に吸収した情報を使って、我々はアウトプットしているんだと思っています。
アウトプットの幅を広げるには、「自分の中の情報」とやらを増やす必要がありそうで、これは「すでに吸収してあるもの」と「アウトプットのための準備としてこれから吸収するもの」の2種類がありそう。
で、ここからが本題で、漫画家というのは基本的に面白い作品をつくるのが仕事なわけですが、世に作品を出す手順としては、
①作者、編集者が自分の作品を面白いと思う
②おそらく読者も面白いと思ってくれるだろう
③世に出す
になると思います。
ここで、「面白い」という言葉を深ぼると、「読者の予想を超えて最終的に読者の願いが叶う」ということだと僕は思っています。
つまり、作者は作品を作る過程で自分自身の作品に対して、意外性を感じなければならないということになります。
「おっこれは」という感触とも言うのでしょうか。
で、前述に戻るのですが、インプットの種類として、「すでに吸収してあるもの」と「アウトプットのための準備としてこれから吸収するもの」の2種類があるとして、後者は意外性が生まれにくい情報源だと思うんです。
なぜなら、なんらかの狙いをもってインプットした情報からは意外性が生まれにくいからです。
「主人公のいい動機が思いつかないから、そういう視点で他の作品を見てみよう」という視点でインプットをしようとしても、
「これこのまま使ったら二番煎じだなあ」となるし、「アレンジして使えばいいか!」としても微妙にしこりが残る。
このあたりは作家性に対する癖みたいなものが関係してるかもしれません。
なので、一番いいのは「すでに自分の中に吸収してあるもの」を使って自他に対して意外性のあるアイデアを掘り出すことなのかな、と暫定的に思っています。
つまり結論として僕らがやるべきなのは
無目的にインプット/アウトプットしまくるということ
なんじゃないか。
これで、「自分の中にすでにある情報」を増やすことができる。
アウトプットの役割は、作品それ自体を作るだけじゃなく、インプットしてある必要な情報にアクセスするための通信網を整備することもあると思っています。
筋トレの感覚にも近いかもしれません。
結論としては、自分自身も面白いと思える作品を作るには、
日頃から無目的にインプットしまくる、
またはアウトプットしまくって脳の回路を鍛える
ということなのかと思います。
まあ、自分(作者)の中に意外性はなくても、一部の読者には新鮮な体験になるからこれで出そう、と割り切るのも、それはそれで必要な心構えだとも思うんですけどね。
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