スキルを掛け合わせて100万人に1人になろうという理論についての疑問

最近、藤原和博さんのスキルを掛け合わせて100万人に1人になろうというのを聞いて

「おお!なるほどなあ」と思った。

自分でもこれとこれとこれを合わせれば誰にも真似できんだろうというのが考えついたので興奮した。

しばらくは「藤原和博」と検索してその理論を聞くたびにモチベーションが上がった。

ふと「スキルの掛け合わせ」と検索してしまった。これがいけなかった。

自分の悪い癖なのだが、面白い事柄とか、素晴らしい理論とかが上がった後、そのあとを追うかのように自己啓発ブログがその理論を自分が見つけたかのように記事を作り出す。

それを見ると、なんだかもやぁんとした気持ちになるのだ。

濃い原液がその人達によって、薄い水になっていくような、そんなイメージ。

インターネットの良くない所だよなぁと思う。

話は戻して、スキルの掛け合わせという理論を謳っている人はインターネット上に沢山いた。ただ、その内容はなんか勘違いしてね?みたいなものもあったりしたので書いてみる。

極端な例だが、

経理スキルと営業スキルと写真スキルを掛け合わせて100万人に1人!

うん。それぞれ雇えばいい話じゃね?もしくはそのそれぞれのスキルを持った3人が集まればいい話じゃないのかと。別にレアカードでもなんでもない。ノーマルカード3枚で対抗できるのならそれはレアカードでもなんでもないような。

2つ目として1万時間の法則というのを殆ど勘違いしている人が多く感じているのだが、

「本気でやって」1万時間の話であって、藤原さんの話でもそこそこ100人に1人という表現になっているがダラダラしながらやってもなんの上達もない。ただ時間かけただけの中身のない1万時間というだけなのにそれらを掛け合わせても0は0だ。

ただ、本気でやって、というのも何か表現が違う気がするので例えるなら「仕事を通して1万時間」、もしくは「お金が発生することを通して1万時間」なのかなと思ったりする。

三つ目にそれ、需要あるの?という掛け合わせスキルだ。

またぱっと思いついた例なので例えがおかしいのかもしれないが

主夫×ブログ×デザイナーみたいな。

それは誰を幸せにするの?みたいな100万人に1人のスキル。

これはその一つ一つのスキルが薄っぺらいというという時に出てくる印象。

いくら掛け合わせても誰でもできるような本当に数字でいうと1みたいなスキルを掛け合わせてもしょうがない。藤原さんのいうスキルはやはり「ある程度価値のあるスキル」を掛け合わせましょうと言っていると思う。

藤原さんの理論は素晴らしいと思う。これから生き抜くにはこの理論が正解なのかなと思う。

名曲をインターネットカラオケマンがカバーしただけで、いいねされる。バンドマンが一生懸命作った曲をリリースしてから一週間後に弾いてみたと投稿して、自分が賞賛されていると勘違いしているのがわんさか溢れる仕組みができているのがインターネットだ。

その人自身が評価されているのではなく、苦労して生み出された原曲の力だと気付かずに賞賛の嵐が溢れる。コピー化社会とでもいうべきか。

とにかく今の時代、せっかく藤原さんみたいな素晴らしい理論がコピー化されて、情報が蔓延して勘違いする人達が続出して薄ーい理論が増えて本来の理論がインターネットの奥底に埋もれていく。

今回の100万人に1人のスキルを掛け合わせていくという情報がコピー化されていくように改めて正しい情報を読み解くスキルが必要だなと感じました。

因みに自分の三つの組み合わせは、誰にもそう簡単に真似されずこれからきっと需要があって、人を救うスキルだと思っています。いつか実現して情報発信できるようになれたらいいなあ。




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