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カネオヤサチコ氏の個展の感想と、そごう・西武の広告について考えた事。

■孤高の“フェチズム男子画家”カネオヤサチコが大好き

昨年十月から十一月の間、銀座のヴァニラ画廊というアンダーグラウンド系のギャラリーで、イラストレーターのカネオヤサチコ氏の個展が開催された。当時フリーランスに転身したてで多忙を持て余していた僕は、会期終了ギリギリの十一月の平日に、単身銀座へ乗り込んだ。


ご存じない方も少なくないかと思うのでご本人の公式サイトを貼っておくが、これから彼女を知る方達は本当に運がいいと思う。特に僕のように、「妙齢の男性の悩ましい表情」に興奮するたちの人間は、絶対に知っておいて損はない作家だと思う。

http://www.yoiko-yokochou.com/index.html

ヴィレヴァンやヴァニラ画廊などアーティスト雑貨を販売している通販サイトには、こんな作者プロフィールが掲載してある。

「半ズボンから髭の剃り跡まで「男子」を主な題材に、アクリル画などの作品を制作し画廊等の展示を中心に地味に活動中」
「フェチズム男子画家 男子を主にテーマにおいた、めくるめく官能世界」

ドシンプルな奥ゆかしい一文から滲み出す、ゆるぎない自信。

しかしここまで読んだ方の中には多分、なんとなく作風が想像出来ちゃっている方も少なくないんじゃないかとも思う。
ほらーあれでしょ?ツイッターとかでよくバズってる、マッシュベースおしゃれ系へアーとファッションだとかスーツとかに身を包んだ男子がこれ見よがしにネクタイ外してみせたり夏に扇風機の前で汗ばんでバッサバサしてるTシャツの襟もとから覗く鎖骨がたまんねえ!!!!!!みたいな。

正直、そういうのも好きだ。全然全開に好きだけどね。しかし、そのような「ごくごく一般的な女子がキュンとするような男子のフェティッシュなやつ」とは一線を画しているのがカネオヤサチコのカネオヤサチコたる所以なのである。実際この方はツイッターやSNSではそんなにバズっている印象がない。でも個展の他、海外でも画集が販売されていたりするぐらいの画家さんなので、その人気は確かなものではあるのだろう。

まあ僕がグダグダと御託を並べてもどこまで伝わるかわからないので、とりあえずこの情熱だけでも伝わったなら上記のリンクを踏んで頂く事をお薦めしたい。めくるめく世界が目の前に一瞬で広がり、きっと帰ってこられなくなる。「よい子横丁」から。


■階段を降りたらそこは、「よい子横丁」でした

会場のヴァニラ画廊は、全く相変わらず、変哲のない雑居ビルであった。


他の作家さんの展示などでもう何回も来ている画廊なのだが、僕は未だに少し迷う事が多い。田舎者なので大都会銀座の建物のでかさに少しばかりビビりながらも(和光って小柄な建物の割には威圧感ある)、薄暗くなった路地裏の地下への階段を降りた。


看板娘の生首お嬢さんにご挨拶してスタッフさんに入場料を払い、中へ入る。諸用により、到着したのは閉館ギリギリ三十分前だった。間に合って良かった。

会場の写真は当然ながら撮影NGなので、許可が出ていたブースしか写真に収められなかったのが残念極まりない。僕のつたない文章でどこまでお伝え出来るかわからないが、その地下への階段を降りた空間は、正にカネオヤ氏の作品群に徹底されている世界観ーー先程リンクを貼った公式ホームページの中で展開されている、「よい子横丁」そのものだった。


入口をくぐった瞬間に既にすごい。手作りであろうホーロー看板のようなモニュメントが壁の空いたところに所狭しと飾られ、会場の中央には天板が雀卓になった炬燵が鎮座。

その上には可愛いマカロニ坊や(よい子横丁が誇る、ねこのような姿をしたゆるキャラ的キャラクター。可愛い)が鎮座し、足元にはセクシーな表情を浮かべたお兄さんの絵姿が描かれた抱き枕がしどけなく横たわっている。


そういえば僕、オタクの割にキャラクターイラストの入った抱き枕って実物は初めて見たな。初体験が美少女キャラじゃなくてお兄さん。光栄である。
アーメンと思わず天を仰げば頭上にはおにいさんのパンツ(縦縞模様)が物干しロープにぶら下がっていた。

神社のお囃子に野球挙の唄、謎におめでたいSEの合間に挟まるは子供の笑い声と泣き声が混ざったような狂気のノイズ。薄暗い照明も相まって怪しさ満点のお化け屋敷感だが、四方の壁に飾られた展示物に満ち満ちているのは、背徳感に溢れながらもあくまでプラスのエネルギーを放ちまくる“生”と“性”の塊だった。


今やツイッターやインスタでバズるのがイラストレーターの王道だが、カネオヤ氏との出会いはヴィレヴァンのグッズ販売ページを介して公式サイトへ飛んだのがきっかけだった。
ゼロ年代インターネット黎明期の、神絵師の個人サイトにハマった時のような懐かしさと新鮮さ、そしてどことなくカルトっぽい興奮が蘇って、僕はその世界に一気に魅了されてしまった。
ずっとあこがれ続けた平面の世界が、立体化されて目の前にある、と思った。いわば、えっちな漫画だけで妄想をたくましくしてきた童貞がいざ本番、と言った趣だ。そりゃあもう心のちんちん爆発寸前である。


初めて至近距離で作品を見たが、本当にデジタル画が少ない画家さんなのだと思った。基本的にアクリル着彩の手描きが多く、じっとりとした筆致の立体感がお兄さん達の皮膚の生々しい感触を思わせる。

まるでキャンバス越しに、肌から蒸発する不感蒸泄の湿度を感じるような筆運びだ。画面の向こうに見るよりも、何倍もエロい。サイズもでかいし圧巻と言うほかない。

また、メインの被写体であるお兄さんに合わせるモチーフの選び方も絶妙だ。ノスタルジックな寂れた商店街に佇む軍人さん風のおにいさん、ネオンカラーのカプセルホテルの一室に閉じ込められたおにいさん……想像力をそそられる。

何より好いのが目の色だ。カネオヤ氏の描くお兄さん達の目は、平面の絵のそれではなく、完全に生き物のそれにしか見えない。うっかり正面から見つめてしまったが最後、作品一枚につき五分は見つめないといられなくなってしまう。完全に迷惑な客である。魅入られるとはこの事か、と改めて思わされた。

結局閉館ギリギリ五分前までそこにい続けてしまった。寧ろギリギリの入場で良かったかもしれないとすら思った。必要に迫られない限り、現実世界へ帰る気がしなかった。

甘美で不健康で怪しげで、それでいて生命力に溢れまくったパワフルさすら感じるお兄さん達の饗宴の引力に逆らえず、もうずっとここに住んでた方が幸せなんじゃないのかなあ、などと馬鹿な事を考えてしまった三十秒後、可愛い女性スタッフさんにやんわりと追い出された。会場内にひっそりと置かれていた感想用のノートに、「半年はオカズにします、よい子横丁に住みたいのでよいこでいます」と書いた気持ち悪い客は僕です。


火照った身体をひんやりとした風に冷やされながら、イヤホンから流れるKing Gnuの『Vinyl』をBGMに帰る銀座の夜はとても心地が良かった。


■よい子横丁から帰還した2019年の炎上案件

カネオヤサチコ氏から急旋回に話は逸れるが、この広告をご存知だろうか。


正月に新聞に掲載されたそごう・西武百貨店の意見広告だ。美しいフェミニンな洋服を着た美しい女性の顔面にケーキのような、パイのようなものが投げつけられている。女性の顔は見えない。

実は新年早々女性蔑視だと問題になった、いわゆる“炎上”広告なのだが、誤解を恐れずに言うと、僕はこの写真を初めて見た時、純粋に美しいな、と思ってしまった。


またまた話が逸れるが、皆さんはウェット&メッシーと言うフェティシズムのジャンルをご存知だろうか。

“ウェット&メッシー(WAM)とは、フェティシズムの一種。人が他者、または自分自身を着衣のまま、ないし全裸の状態で濡らしたり、さまざまな物で汚したりするような性的嗜好。(wikipediaより)”

色々面倒臭いので詳しい解説は以上に任せる。

僕は、僕自身が個人的に美しいと思う容姿のひとが、甘いお菓子や果物の果汁などにまみれている姿を見るのが好きだ。歴代の推しには一通りやらせた、脳内で。だから多分、軽度ではあるが、僕もウェット&メッシーの愛好者なのだろう。

件の広告の写真も、ある種ウェット&メッシー表現のひとつだと思う。だからこそ僕はこれを一目見て、悪い印象は覚えなかった。

そこに加えて、僕はこの写真から、とある物語をイメージした。こんな感じの。

ウェット&メッシーは元来自己の解放に用いられる行為だ、と僕は思っている。被写体の彼女自身を、男性や社会的に「偉い」とされるひとなど、他者から押し着せられた「女性」と言う役割から解放する装置として、「パイ投げ」が用いられたのだと解釈したのだ。

だけれど、実際は違った。


これは件の広告の動画CM版らしい。こっちを目にした時、僕は正直、がっかりした。僕が想像していたような、ドラマチックで力強い物語が、そこに一切感じられなかったからだ。

動画版では、彼女は一方的にパイを投げつけられるだけであり、しかもあろうことか投げつけられても投げつけられても「まだいける」みたいな顔して笑っているだけだ。それで最後に「ワクワクしませんか」なんて、そんな事を言う。なんだか興ざめだ。いわゆる「公式との解釈違い」ってやつだ。違うか。


僕の性自認はいわゆるXジェンダー、FtXなのだが、元々女性として生まれ、今でも日常生活は女性として過ごしている。女性として生活するうえで不当な扱いを受けているなあ、と思う事は正直少なくないが、幸いトラウマになったり警察沙汰になったりする程のものでもなかった。

だから、この世界中の、女性として生活しているひと達が、生きているだけでどれ程不当な扱いを受け、怖い思いをしてきたか、想像に難くはないが、あくまでも想像の域を脱さないだろうと思う。この広告に憤っている多くの女性の気持ちを、僕は汲み取りきれないし代弁も出来ないし、ネットの書き込みを呼んでいるだけで胸が痛む。だから、広告本文のメッセージにには、ここでは敢えて言及しない事にする。

僕が一番悲しかったのは、僕自身が一瞬でも「美しい」と思わされてしまった、「パイを投げつけられる女性」と言うモチーフが、動画CM版の中で「ジェンダー差別や性犯罪」と言う「醜いもの」のメタファとして扱われていた事だった。

■男も女も猫も杓子も、クリームまみれになるがいい

一旦、話をカネオヤ氏の作品に戻そうと思う。

カネオヤサチコ氏の作品は、どこまでも美しく、そしてフェテッシュでとことんエロい。それも、単なるポルノ的なエロさだけでなく、その向こう側に物語が見えるのが印象的だ。その舞台となるのが、他でもない「よい子横丁」なのである。


僕の好きな連作シリーズに『獣美女とおにいさん』と言うものがある。
路地裏や洋館で獣の姿をした美しく逞しい女性に、お兄さん達があられもない姿で陵辱されたり、性の手ほどきを受けたりするやつだ。

(これはそのシリーズの中の一作があしらわれたステッカー。個展の後に新宿のヴィレヴァンで買った。お気に入り)


この構図、よく考えると一般的な男性向けのエロ漫画でよく見かけるやつだ。か弱くエロティックな存在を強い者が性的に支配する、モノとヒトによっては嫌悪感すら抱かせかねないモチーフだと思う。

僕はこのシリーズの原画を個展で初めて目にした時、その絵面の圧力とサイズ感のでかさに圧倒されて思わずこんな事を思った。

――もしかして、カネオヤ先生は「肉体的弱者である女性だけでなく、男性も性的に消費される可能性がある」と言う事を表現したかったのか?
この時代を生きる女性を取り巻く環境のおかしさは、「女性だけが性的に消費されうる」と男女共に内面化してしまっている事が問題で、そんなふうなメッセージを含んだ作品なんじゃなかろうか。

そこまで考えて、はたと立ち止まった。

いや、待てよ僕。そんな事、きっとカネオヤ先生は望んでいないんじゃなかろうか。

何故なら、この作品の中のお兄さん達は、誰も彼もどこまでも美しく、心底恍惚的な表情を浮かべて獣美女の愛撫を甘受しているからだ。
そこにいわゆる「男性VS女性」と言った対決構造(高尚な社会的意義や、ある種の男性嫌悪など)があれば、きっとここまで美しく恍惚的な表情のお兄さん達を描けるはずがないのだ。

カネオヤ氏が作品に込めるのは、きっと対象への純然たる愛とリビドーだけ、なのだろう。これもあくまで僕の想像に過ぎないが。

僕が帰りに感想を書き込んだノートには、「最高にえろくて美しいです」「めちゃめちゃ興奮しました、よい子横丁に住みたいです」と言った素直で純粋できらきらした感想ばかりが書き込まれていた。それはまるで塗りたての甘いピンクのマニキュアのような眩しい性の欲望で、やっぱり女性のものらしき筆跡が多かったが、中には男性の名前や筆跡も見られた。


そごう・西武の広告に話を戻すが、あの表現では、見たひと、特に女性に不快な思いをさせてしまうのは当たり前だと僕も思った。僕がいわゆる“一般的な女性”であったとしても憤慨していたろうと思う。

正直、あの広告の中に書かれているメッセージの中には共感出来る部分もある。
「女性が活躍する新しい時代!」なんて、ただただ祭り上げられるだけでなんの保証もサポートもされない、仮初の女性の時代ならば来なくていい、それよりもジェンダーを問わず、個々が大切にされる時代になってほしいと僕も思う。それは大いに結構だ。

だけれど、あの動画CMの映像と合わせられてしまうと、やっぱり「女の時代なんて、いらない?」と言うあのどきっとするメッセージは、どうしてもマイナスの意味に映ってしまうと思う。全く「ワクワク」なんかしない。

そして、繰り返すようだけれど、少なくとも僕の目には「美しいもの」に見えた「お菓子(パイ)を浴びた女性」と言うモチーフが、醜いもののメタファとして使われていたのが、ただひたすら悲しかった。

多分製作側はウェット&メッシーなんて大して知らないだろう。「絵面的に美しい」「綺麗に見える」ただそれだけで女性にパイ(甘いお菓子)を投げつける、と言うモチーフを性暴力のメタファとして採用したのだとしたら、それこそ暴力的に単純だ。


カネオヤ氏の作品の中には、ここには詳細を書けないような少々倫理観がやばいものも確かに存在する。でもそれはあくまで個人の手による芸術作品だからこそ是とされる表現だ。よい子横丁に迷い込んだ観客には作品の自由な解釈が許され、欲望も歪んだフェティシズムも全て、よい子横丁の中でだけ受け止められる。そして、よい子横丁から一般社会に帰れば、その治外法権は許されない。それが当たり前の決まり事と言うものだ。

多分、カネオヤ氏の作品だけでなく数多くのフェチコンテンツが同様なんじゃないかと思うが、一般社会とは隔絶された世界で起こる出来事だからこそ、フェテッシュな表現の「美しさ」は美しいまま、そのままの姿で我々に伝わってくるのだろうと思う。

だけれど、だからこそ、一般社会に直で接続される意見広告、しかも商業広告で、フェテッシュ表現に通ずるような「絵面的に美しい」表現を安易に選択しないでほしかった。

結局あくまで僕個人の主観である事は百も承知だが、自由な解釈を認めない形で、「醜いもの」のメタファを、「絵面的に美し」く見せるのは間違っていると思う。
ジェンダー差別や性犯罪はそもそもパイみたいに美味しくないし、ウェット&メッシーみたいに美しいものでも、(良い意味で)エロいものでもなんでもない。ただただ汚く、不快で、ひとを悩ませるものだ。それをあんな「視覚的に美しい」表現で表すなんて趣味が悪い。
しかも、よりにもよって大勢のひとの目に触れる商業広告で。


折角の「視覚的に美しい」モチーフなら、どうせなら美しいものとして扱ってあげたい、と僕は思う。どうせなら美しくて美味しいパイなんかのお菓子を、男性や社会的に「偉い」とされるひと達の目線など一切気にせず、口の周りにクリームいっぱいつけて食べる女性達が見たいと思う。「女性」らしくお淑やかにフォークなぞ使ったりもせず、豪快にぱくぱく食べてほしい。

なんなら彼女達と同様に「男性」を押し着せられ、内面化してしまっているために可愛いお菓子を食べることすら許されないと思っている男性も、彼女達と一緒に豪快に食べればいいと思う。カネオヤ氏が描くよい子横丁のおにいさん達みたいに、「男性らしくない」恍惚の表情を浮かべながら食べるのが良い。みんなでパイまみれ、クリームまみれになって美しくドロドロになれば良いんじゃないかな。

大手の企業のお偉いひと達なんかに唆されなくったって、僕達はいつだってそれをやって良いのだ。
男も女もそれ以外のひとも、皆でクリームまみれになってやっと、本当に「私は私」だと思えるんじゃないかと思う。

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