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『ディパーテッド』それは運命か vol.793
名作『ディパーテッド』を見ました。
内容が自分の知っているドラマに似ていて面白そうだなと思ってみたのですが、まんまそれでした。
調べてみたところ、この映画自体もリメイクされたものらしいです。
その私の好きなドラマというのが、『ダブルフェイス』。
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このドラマを見てから、西島さんと香川さんが出ている映画などは欠かさず見るようにしてるぐらい衝撃を受けた作品でした。
今回の『ディパーテッド』は、このダブルフェイスの前にリメイクをさレテ作られていた映画。
どうやら、『インファナル・アフェア』→『ディパーテッド』→『ダブルフェイス』という順でリメイクされているらしいです。
今日はそんな『ディパーテッド』を見ての感想を書いていきます。
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犯罪者の一族に生まれたビリーは、自らの生い立ちと決別するべく警察官を目指す。一方、マフィアのボス・コステロの腹心として育てられたコリンは、コステロの内通者となるため警察へ送り込まれる。警察学校を優秀な成績で卒業したビリーはマフィアへの潜入捜査を命じられ、コステロに接近。コリンはエリート警察官として最前線に立ちながら、警察の動きをコステロに知らせ続けるが……。
本当の自分はどちらに
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上に挙げた作品は全て同じような内容になっています。
マフィアに育てられた子が内通者となるべく警察学校へ、そして警察のトップへと上がっていく。
警察の中でもなかなか成績の出ない足切り間際の者が、マフィアに潜入し内通者となる。
どちらも正義を裏に隠した悪の仮面をかぶるのか、悪を裏に隠して正義の仮面をかぶるのかという、本来の自分とは異なる役割を全うすることを強いられている状況です。
ただ、ダブルフェイスもディパーテッドもその役割の仮面を脱いだのは、正義の仮面をかぶっている者です。
結局のところ、その仮面の重さに耐えきれなくなってしまうわけです。
それもそのはず。
いわゆる、警察の中でのトップといえば出世街道まっしぐら。
安定して自分の望むものはほとんど手に入れられる不自由ない生活が待っています。
幼少期にマフィアに拾われる前に大変な思いをしているだけに、手放せなくなっていってしまうわけです。
自分の欲が勝ってしまうのか、義理人情を重んじるのかそう言った点で人間は簡単に揺らいでしまうのかもしれません。
もしくは、自分の信念が変化するのか。
これぞ究極の因果応報か
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ネタバレになってしまいますが、最後の部分に関しては物議を醸すような気がします。
ダブルフェイスはなんとも後味が悪い終わり方、ディパーテッドの方がどちらかというと、悪者も全員死んで歯切れがいいといえばいいのかもしれません。
ただ、しかし、これから更生して正しく生きていこうと決心しようとも、過去のしがらみは一切拭いきれないという点で考えれば非常に皮肉なものです。
特大ブーメランや因果応報と言えばそこまでですが、過去の罪というのはどこまで行っても贖罪を果たしたとしても、許されるものではないのかもしれません。
しかし、このマフィアに拾われた子に罪はあったのかという点も考えどころです。
幼き頃からそれが正義として教わってきて、自分の信念体系ができないままに覆面を被ることを強いられる。
これほどまでに辛いことはないのかもしれません。
変わらない名作、なくならない共感
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なぜ、この作品はここまで何度もリメイクをされながら見られてきたのでしょうか。
私は、今も以前も変わらずこの映画に共感できる何かがあるからだと思います。
私たちは自然と何かを演じることで日々生活しています。
家族と会う自分、友人と会う自分、恋人と出会う自分、、、。
そのどれも本当の自分かもしれませんが、今の思考の自分以外の自分を演じていることに変わりはないでしょう。
規模は違えども、この演じなければならない、人との関わりやモヤモヤ、もどかしさ、自分の信念との乖離といった、現代社会でも抱えるであろう問題ともリンクするからこそ今でもこの映画は不滅のものとしてみられているのかもしれません。
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