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『(r)adius ラディウス』 それは運命か偶然か vol.560
これまたSFチックな映画です。
自分の半径15m以内に近づいたものは無意識に無差別に殺してしまう。
そんな奇怪な能力を手に入れてしまった時、あなたはどんなことを考えますか。
そして、果たして自分の運命をどのように捉えるでしょうか。
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交通事故に遭い記憶を失ったまま目覚めたリアムは、助けを求めるため近くの町に向かう。しかし目に入るのは住民の死体ばかりで、ようやく見つけた生存者も、彼が近寄った途端に死んでしまう。やがてリアムは、自分の半径15メートル以内に立ち入った者が即死してしまうことに気づく。戸惑うリアムだったが、近づいても死なない女性ジェーンと出会い、同じく記憶喪失の彼女とともに、この現象について解き明かそうとする。
SF映画好きな私が見事に引き込まれてしまった映画です。
この映画を見ての感想を書いていきます。
自分の運命をどう受け入れるのか
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別に自分が殺したいわけではない。
しかし、近づいてしまうと全ての動物が死んでしまう。
植物は死なないというのがこれまた不思議なのですが笑。
こんな状況に陥ってしまったら、一生自分は孤独に、それも誰にも気づかれないように生きなければならないのかと絶望するはずです。
誰かに助けを乞おうにも、近づけば死んでしまうのですから。
そんな自分の運命を私なら受け入れられるのでしょうか。
理不尽な能力、でも自分には何もできない。
誰かに頼ることもできない。
私の目から見たリアムは誰とも関わらないように小屋に身を潜めるあたり、まともにも見えますが、そこまで早く自分のよくわからない現状を納得できるものかと疑問に思ってしまいます。
自分の見に何か起きた時、それが変えられないものだった時、私ならどうするのだろうか、、、。
それは背負うべき自分の罪か
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基本的に世間に追われる二人は協力体制で、助け合いながらもどこか身を潜められないか、この能力を何とかできないかと画策しますが、
互いの関係性には衝撃の事実があることに後半で気づきます。
リアムは異常大量殺人鬼だったのです。
それも、ここまで自分自身は記憶喪失だったのに、その記憶が急にフラッシュバックするのです。
今の自分には何も殺した記憶などないのに、紛れもなくやったのは自分。
今のリアムからすれば、記憶にはないけど確実にやってしまった悪事を認めなければいけないという最悪の状況。
ここまでくると、自分のこの能力でさえも天罰なのではないかと思えてくるのではないでしょうか。
それさえもリアムは受け入れなければいけないのでしょうか。
もしかしたら、自分にも気づかぬうちに数多のも罪を犯しているのかもしれないという自分不審。
そんなことも考えました。
全ては謎に包まれたまま
![](https://assets.st-note.com/img/1670753808622-TfSUyHfHJR.png?width=800)
映画全体の感想としては、非常に気持ちの悪い終わり方でした。
「結局何やねん」という。
SF映画というよりかは、人間の心情などに着目した映画としてみた方がいいのかもしれません。
どんなことに対してもそうなのですが、やはり私は何かよくわからないということに対して不快感を感じるタチなんだなと改めて気づきました笑。
ただの”何かわからない”ならば、答えを探してワクワクするという知的好奇心が働くのですが、映画のように世界観が決まっているにも関わらずその答えは放棄するというやり方に納得ができないのでしょう。
おかげで後半にいくにつれ、思考も彷徨いました。
それが芸術というものの評価点なのかもしれませんが、おそらく設定をぼかすというのは、作品への没入感などの妨げになるんだろうなと。
そんなことも感じました。
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