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『アイネクライネナハトムジーク』偶然は偶然でなく必然なのかもしれない vol.266

読書会の課題本、『アイネクライネナハトムジーク』を読みました。

いつもは、哲学書や古典的な文学本などの少し敬遠しがちな難しい本だったのですが、今回は私も好きな伊坂幸太郎の本です。

伊坂幸太郎は、チルドレン、終末のフール、オーデュボンの祈り、陽気なギャングが世界を回す、魔王、重力ピエロは読みました。

読みやすく好きな作家の1人ですが、正直にいうと苦手なんです笑。

伊坂幸太郎の本は、時系列があっち行ったりこっち行ったり、登場人物もAの物語、Bの物語と、話を辿るだけでは理解ができないからです。

そして、最後にこれらが一つにつながるという芸術的な美しさを感じますが、毎度毎度この本を完全理解するのに脳のCPUが追いつきません。

今回のアイネクライネナハトムジークも、恋愛ものということで子供まで出てきて、正直頭が痛くなりましたが、楽しく最後まで読めました。

伊坂幸太郎を批判しているわけではなく、こんなパズルのような作品を毎度毎度作り上げる頭が、同じ人間にあるなんて信じられないのです笑。

そんな伊坂幸太郎の『アイネクライネナハトムジーク』を読んでの感想を記します。

偶然は必然

伊坂幸太郎の作品全てに精通しているのかも知れませんが、最後に書く話の断片が美しく繋がっていきます。

この本は伊坂幸太郎が初めて書いた恋愛本ということで、そこに特に焦点が当たりました。

あの時あの瞬間、あの人がああしていなかったら、、、。

本の中の登場人物もそんな運命的な出会いなどに惹かれるタイプだったようで、そんなシーンがありました。

まさに伊坂幸太郎作品を読んでいる私と同じような感情を、そこから感じ取りました。

引き寄せられる言葉や人

アイネクライネナハトムジークには、いろんな登場人物が時系列を錯綜しながらも登場します。

ある時は赤ん坊だった子供が、10年後の姿が描かれていたり、気づいたら19年後になっていたり。

しかし、そのどの部分を切り取っても同じようなシーンが出てくるのです。

今回で言うと、怒り狂う人に対しての対処方法。

仲裁に入るでもなく、誰かを呼ぶのでもなく、その怒っている相手に対して、

「すいません、大丈夫ですか?いや、このいま怒鳴っている相手が誰のお子さんがご存じで怒鳴られてるのかなと思いまして。私も関わりたくないのですが、あなたが心配で、、、」

こんなシーンがどの短編にも出てくるのです。

これは、伝わっているものこそ言葉ではあるが、一つの継承の形を表しているのかなと感じました。

世代や人を超えて、この対処法が自然と伝わり、そしてそれが知らぬところで人と人を引き寄せ合う。

そんな道のようなものが見えました。

これは、アイネクライネナハトムジークという一つの本として客観的に捉えているからこそ、読者には分かりやすいように伝わっているだけで、実のところ私たちの生活にも溢れているのかも知れません。

そう考えると、私たちの一挙手一投足も先人たちの知恵の産物なのだと実感できます。

自分を誰に投影するか

さまざまなキャラクター、登場人物が出てきた中で、皆さんはどのキャラクターに自分を投影できたでしょうか?

私はこのキャラクターというわけではないのですが、それぞれの登場人物に共感できる部分がありました。

最初に出てきた佐藤の運命的な部分を待ち望むところや、藤間さんの免許更新のタイミングなど。

日常を切り取った一部一部を表現しているからこそ、ずっと読み入っていけるのでしょう。

それにしてもこの本の表紙、小さな部分に話の断片が表現されているのは分かりますが、ペンギンに幻想的な空、その他諸々どんな意図があるのでしょうね。

こんなふうに読み終わっても、楽しめる本自体を作品として作り出している、執筆者というのは芸術家そのものなのだなと感じた本でした。

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