『素晴らしきかな、人生』それでも人生は素晴らしい vol.276
クリスマス映画の一つである『素晴らしきかな、人生』。
とても意味の詰まった心を揺さぶられる映画でした。
いままで見てきた映画で、ウィルスミスが出ているものは全部面白かったので、この映画もとても楽しみに見れました。
愛とはなんなのか、死とはなんなのか、時間とはなんなのか。
そして、この映画は何を伝えようとしていたのでしょうか?
全員が自分の心と向き合うのを避けていた
この物語は一見、娘を亡くしたハワードが心をなくしてしまい、その再起を企む同僚との話です。
しかし、本当にハワードは心を病んでいたのでしょうか?
確かに途中までは気力がなく、もうすっかりもぬけの殻になったような感覚を受けますが、最後の同僚とハワードとの会議でそれは覆されます。
精神疾患に見られるような動画を作成してハワードに見せることで、代表の座を降りてもらおうとするのですが、それに対してハワードは驚くほどまともな対応をするのでした。
そして、それぞれが実は時間と死と愛と向き合わなければならない時間を過ごしていたのでした。
同僚の一人は、子供が欲しくも仕事に熱中しすぎて自分を置き去りにして歳をとっており時間と向き合う必要があった。
またさらに一人は、重い病気にかかってしまい家族に伝えられずにいて、死と向き合う必要があった。
また一人は、離婚した妻との間の娘との関係で悩み、愛について向き合う必要があった。
ハワードに対して抽象的な概念を受け入れてもらおうとしていたのに、本当はその同僚にこそ必要なものだったのでした。
超えようとする思いと意識をもらう
しかし、その行為は結果としていい方向に動いたのかも知れません。
ハワードはそれまで、娘の死を受け入れられていませんでした。
しかし、その権利移行の書類にサインをするためには、娘が死んだということを認めるサインが必要だったのです。
そして、これは同僚も知りませんでした。
結果として、ハワードは強制的に娘の死と向き合わなければならなくなったのです。
しかし、それと同時に同僚に対しても向き合うこととなりました。
3人の同僚もそれぞれ苦しんでおり、その苦しみと向き合うことができず、ハワードに押しつける形になってしまったのでしょう。
しかし、ハワードは全てわかっていたのでした。
だからこそ、同僚を守ると、無いものではなく今あるものに目を向けるべき時だと踏み出したのでしょう。
時間と死と愛と
この映画では、時間と死と愛という抽象的な概念が擬人化して現れます。
それも、最初は役者さんに同僚が演じてくれと頼み込んだ形でスタートしていたので、誰もがこの3つの抽象的な概念が本当に概念自信だとは思ってすらいませんでした。
最後にそれはわかるのですが。
思い返してみると、映画の中でもこれら抽象概念が熱がこもり自分の思いを熱くぶつけているシーンがありました。
その瞬間はまさにその概念そのものなのかも知れませんでした。
でもこれらは、確実な何か形があるわけではありません。
言って終えば、私たち一人一人にこれらの概念はあり、それを考える機会がたまたま同時にやってきただけだったのかも知れません。
そう考えると、この映画を見た私たちにも時間と愛と死とを考える大事なきっかけを与えてくれたのかも知れません。
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