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背徳感が生まれてしまうのもまた癖なのか vol.663

今年度から土曜日半日分の半休日は木曜日の午後になりました。

昨年度は木曜日の午前中だったので、ゆっくりと寝ることで過ごしていたのですが、今回は丸々午後が開くようになりました。

学校というのはやはり午後にいる時間が長いわけで、午前休と午後休とではやはり休みの分量は異なるように感じます。

今日は初の午後休を取って自宅でこれを書いているのですが、もうすでに今まで午前休の日にゆったりとしていた時間分のゆったり感は過ごしているかと思います。

感じてしまう背徳感

当然与えられるべくして与えられている休日日のはずなのに、なぜか今日も帰る時に若干の背徳感を感じてしまいました。

これが日本人らしさというものなのかもしれませんが、皆が仕事をしているし明日の自分の仕事も不安だしとなってなかなか帰る方に足が向きません。

実際には明日も午前中は空いているので、授業準備をするには十分すぎるくらいの時間がありますし、もっというと普段朝の時間は平気で1時間時短を取る割にはこういうところで私はセーブが働くんだな〜とちょっと新鮮な気持ちになりました。

おそらく長年染み付いてきた、時間の間は職場にいて仕事をすべきと言った不思議な習慣が身についてしまっているのでしょう。

実務主義ではなく時間主義

そうはいってもいずれ慣れていくのでしょうが、日本人の癖というのはこびりついているものなのだなという学びでした。

そういえば職場にも予想以上に時間に縛られている教員もいたなと思い出しました。

現在年変形労働時間制でこれまでの就業時間よりも1時間半伸びた形になってしまいました。

業務が終了していれば従来通りの就業時間で帰る分には全く問題がないはずなのに、いままで最短で帰ろうと試行錯誤されていた先生も、きっちり労働時間を守ろうとしているのです。

管理職も労働者側も了解を得た中で、帰る文化を作りましょうとしているのに、なぜか就業時間というものに重きを置いているようなのです。

何時間やったかではなくて、何を終わらせたか

職場には謎にいつも遅くまで残っている人がいたりします。

その多くの人が、たくさんの仕事を抱え重積を担われている方だとは思うのですが、一方で大した仕事量もないのになぜか遅くまで残っている方もいたりします。

そう言った方に限って仕事が終わらない終わらないとぼやき、なぜかエクセルのセルの大きさを大きくしたり小さくしたり、よく分からない文字を直打ちしていたりと、数十年前のやり方を継続しているわけです。

仕事は何時間やったかではなくて、業務時間外にどれくらい終わらせたかで、仕事をしたしないが決まるはずです。

なぜだか色濃く残る時間浪費問題。

意識のところから変えていく必要があるのかもしれません。

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