クリティカルシンキングが学びのきっかけを作る(85日目)
最近よく耳にする言葉として、クリティカルシンキングや批評的思考という言葉があります。
学校や教育界においても、たびたびこの言葉が使われ、学習の上で必要なものであると言われています。
文部科学省はこのクリティカルシンキングを考える力の英訳として用いています。
では、具体的に批評的思考とは何なのでしょうか。
ロジカルシンキングとの違い
似たような言葉としてロジカルシンキングという言葉があります。
ロジカルシンキングは論理的思考と訳されます。
クリティカルシンキングと同様に必要な思考プロセスなのですが、その意味合いは大きく異なります。
論理的思考、ロジカルシンキングは、自分の中で得た情報の分析・分類分けを行い、それらを整理して道筋立て、目標に向かってのプロセスをたてることです。
具体的な解決策や、解法を導き出すのに非常に有効な思考の使い方でしょう。
しかし、クリティカルシンキングとは大きく異なります。
クリティカルシンキングとは
クリティカルシンキングを日本語訳するとどのような言葉になるのでしょうか?
クリティカルシンキングを直訳すると、批判的思考と訳されます。
しかし、ここでのクリティカルとはいわゆる否定的な批判という意味ではなく、そのまま無批判に受け入れないという意味を込めての批判として使われます。
ちょっと意味が分かりづらいかもしれませんが、そもそもの的確な役がないので、感覚的に理解するしかありません。
私はクリティカルシンキングを、批評的思考、もしくは総合的判断思考と呼ぶ。
つまり、クリティカルシンキングとは、自分のこれまでの理解や思い込みに対して懐疑的に向き合ってみて、それが真に正しいのかどうか、何をもって正しいとするのかを定義付けするロジカルシンキングの先にある考え方なのです。
ロジカルシンキングが、その事象に対しての意味や理解をするための思考であるとするならば、クリティカルシンキングは、事象の意味や理解を疑う思考です。
なぜ、クリティカルシンキングが大切なのか
ほとんどのことがシステム化され便利になった世の中、生まれてから不便な生活をしている人は少ないのかもしれません。
そして、効率化を図るためにシステム化したはいいものの、形骸化してしまっている多くの取り決め。
そのようなものであふれています。
しかし、そんな中でもVUCA時代と呼ばれるほどに、時代は変化し続けています。
何が正しいのか何が間違っているのかも、分からないままその時代を走り続け、修正していかなければならないのです。
そんな中でも、そこに意味を持たせたり本質的な問題に気づくうえで必要な力こそがクリティカルシンキングなのです。
クリティカルシンキングは何も、外の事柄に向けてのみ発揮する思考ではありません。
自分自身の生き方、あり方を問い続けることも1つのクリティカルシンキングなのです。
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