やっちゃっていませんか?学びマウンティング!! vol.133
僕は”学ぶ”ということに楽しさを感じており、初年度から学外での学びを求めてセミナーや講演会に参加していました。
新しいことを知ることができたり、その知識をすぐにアウトプットできる先生という職に魅力を感じています。
しかし、このように学びを続けてきた私でも、それをうまく学内に広めたり有効活用できた訳ではありません。
私が、学びを進めていく中でもついついやってしまっていたのが、学びマウンティング。
今日はそんな学んでいるからこそ、陥ってしまう迷走状態について書き記していきます。
なぜ学ぶのかを忘れない
学ぶ上で最も大切に持っておかなければならないのが、自分が学ぶ理由です。
なんのために学ぶのか、なぜ学ぶのか、学んでどうしたいのか。
セミナーや講演会、ワークショップに参加をすると、当然、その場に集まる人は志の高いことが多いです。
そして、普段話すことのできないような高次な話や、職場での愚痴など学校では得られない感覚をその場で得ることができます。
話し合いや対話の場がなくとも、新しい知識を学べば、それはなかなか得られることのできない刺激になります。
そして、いつの日か気づかないうちに本来の目的を忘れ、刺激を求めてセミナーや講演会に参加する刺激中毒になってしまうのです。
こうなってしまうと、もはや日々の学びもマイナスに傾いてしまうことがあります。
自分は中の学びをよくしようと、外で学んでいるのに、外の刺激が忘れられず中のことがおざなりになったりしてしまい、自分の居場所や学ぶ意義を見失ってしまうのです。
イノベーションのジレンマ
そこに気づき、学びのベクトルを内側に向けようとしても、学内でも同じように外で学び、同じ知識量を持っている人はなかなか少ないと思います。
大体職場の中で、2割いれば良い方でしょう。
そして、その2割の中にも知識の差や意識の違いはあります。
外で得られていた快感は、中では感じることができずに、なんともいえない虚無感や焦燥感、失望感を感じるようになります。
そして、それが学内での孤立や、学びマウンティングをとる姿勢につながっていくのです。
自然と、学内の先生を見下し、「どうせこいつらはこんなことも知らないだろう。」とか「学んでいないから分からないんだ。」などと、あたかも自分の今の状況が正しいものと正当化をして、他者にマウンティングを取るようになってしまうのです。
承認欲求はいずれ他人軸に
そして、そのマウンティングはいずれ承認欲求へと姿を変えます。
「なんで、こんなに学んでいる自分の意見が通らなかったり、理解されないんだ。」と学ぶことの意味を、自分の中ではなく、外に求めるようになってしまうのです。
まさに他人軸で生きるようになっていき、本質からかなり遠ざかっていってしまいます。
ここまで拗らせてしまうとかなり面倒です。
元に戻るにはよっぽどのパラダイムシフトがないと気づけません。
だから、学ぶ上では必ずなぜ学ぶのかを大切にしておく必要があるのです。
私は教育こそ未来を作る最高の職だと考えています。
私が学べば、私を通して子どもたちにその学びが伝染し、さらにその先へ。
そしてゆくゆくはそれが未来になっていくといった形で、未来を作るために学びをやめていません。
みなさんも学ぶことの本質的な意味を見つけてみてはいかがでしょうか?
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