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半休日をしっかり休むというのも一つの技術 vol.839

私の学校は土曜日にも授業があるため、実質週6勤務です。

理事会側の体裁としては、週あたりに半日の休みがあるのでそこを休めば週あたりに2日分の休みがあり、5日制になるでしょというスタンスのようです。

そうはいっても1日休みが2日あるのと、1日休み+0.5日休みが2つあるのとでは大きく異なります。

そしてこの平日の半休は先生たちにとっては非常に厄介な壁になるのです。

今日はそんな半休について考えます。


いれば仕事は山ほどある

半休日とはいえども、この半休をしっかり休むのも大変です。

一つは物理的に仕事が溜まっている可能性があるということ。

教員の仕事は実にはっきりとしておらず、気付けば次から次へと仕事がふってきます。

普通の一般企業であったら1年間でおおよその業務量も決まっているでしょうし、やることも分かっているので、ありえないかもしれませんが、それが当たり前にあるのが教員なのです。

対生徒、対教員、対保護者、対地域、対大学、、、いろんな種類の相手と接するので、不確定要素が多く見えていなかった仕事も現れるのです。

なので、探せば仕事なんて山ほどあります。

それらの仕事に一区切りをつけて自分で休むということを選択しなければ、通常運行している中で休むのは結構難しいのです。

こんな昼間に帰っていいの?

もう一つの問題は気持ちの問題。

教員という生き物は真面目な人が非常に多くいるように感じます。

社会に出れば非常識と揶揄されますが、それでも真面目に言われたことをきっちりとやろうとする人がたくさんいるのです。

それが型から抜けられない大きな問題でもあるのですが。

そして、学校の外にいても教員としての自分を出さなければと思っているために、生徒と会うのは絶対に嫌だという人が多いです。

白昼堂々家に帰るとなると世間の目が気になってしまう人もいることでしょう。

授業をしているのにその中を帰るのか、、、とか保護者がどこかで買い物しているのかもしれない、、、とか。

本当は堂々としていて欲しいのですが。

公私混同ではなく、公私融合

公私混同と悪い言葉として使われることがあります。

私欲を仕事の中で出すと怒られるやつです。

不思議なことに持ち帰り残業を怒られるという話は一切聞いたことがありません笑。

公に私が混同するのはダメなのに、私に公が混同するのは美談のように語られるのです笑。

ま、それはさておき、私は公私は混同した方がいいと考えています。

混同というよりも融合という方が近いかもしれません。

仕事とプライベートに線を引いてしまうと柔軟に対応できなくなってしまうからです。

例えば、この前は私のよくいく銭湯で生徒の家族に出会しました。

特に何か話すでもなく挨拶だけして、後日学校で生徒「あそこよくいくんだ〜」みたいな話をする程度。

多分、先生を常に意識している人は「うわ、生徒いるじゃん、いやー会わないようにしようかな、それとももう帰るか」となるかもしれません。

でも、そこで互いに認知できれば後日の話のきっかけにもなりますし、また違った生徒の姿も見れます。

これは極端な例かもしれませんが、セレンディピティを楽しめてこその仕事ではないのでしょうか?

話は外れましたが、先生も人間だし1人の労働者、自分の権利はしっかりと守り、行使するのが正しい見本となる大人の姿かと思っています。

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